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求めるものは変わっていく

 マツダのロードスターのハードトップ版が出ましたね。

rf.jpg

 ロードスターRF。私はビビりなので、ソフトトップよりハードトップの方が安心感があります。オープンにしても後ろ側にピラーが残るので実際、ソフトトップよりも安全だと思います。走りの面でも当然、ハードトップの方が剛性が出ますから有利です。しかも、これは意見が分かれるでしょうが、エンジンが2ℓになっています(ソフトトップの方は1.5ℓ)。恐らく電動ハードトップの機構による重量増を補うためであると思うのですが、それでも車重は1,100㎏と、2ℓクラスにしては相当な軽量ですから実質的に相当なパワーアップをしてると思います。まぁ、私はこの重量なら1.5ℓのままでもいいかなと思います。

 ただ、値段もぐっと跳ね上がりまして一番安いグレードで324万円!装備が充実してしるグレードを選べば乗り出し400万円オーバーは確実です。スポーツカーとしてみればこれぐらいの価格は仕方がないのかもしれませんが、90年代のスポーツカー全盛期を知っている私としてみれば「当時のRX-7が新車で買えてしまうではないか!」と思ってしまいます。

RX-7.jpg

 かたや2ℓNAの150馬力そこそこの車、かたやロータリーターボの255馬力(後期型は280馬力!)、同じFRのスポーツカーで価格帯が一緒というのは、いくら電動ハードトップであるとしてもなんか納得がいきません。ちなみに当時の大卒初任給と現在の大卒初任給に大差はありませんし、平均年収はむしろ当時の方が高いぐらいですから、ただ単に物価が上がったというわけではありません。ロードスターRFは純粋に高い高級な車という位置づけであるということです。

 ただ、これはあくまでも私のような速い車が好きな人が動力性能を比べた場合の話であって、当時もまずは動力性能!といった時代であったからです。車の魅力は速さだけではないですからね。デザイン、乗り味、安全装備など、時代と共に車の何を見て選ぶかというのは当然変わってきます。近年は必ずしも動力性能を重視する傾向にあるわけではありません。ですからこのパッケージングで魅力を感じる人がいればそれでいいのです。自分で言っておいて何ですが「この値段でこの程度のパワーか…」というのは時代遅れの批判なんだと思います。

 
 教会が提供するものは昔から変わることはなく、これからも変わることのないみことばの福音です。しかし、その福音を提供する前の段階において人々が何を求めているのかというのは変化していきます。その前の段階をないがしろにして昔からのことばかりにとらわれてしまっては、福音を提供する以前に提供する機会さえなくなってしまいます。真理は曲げずにかつ時代に敏感な教会であるべきではないかと思います。

宣教協力とは開拓ばかりではない

状況的にも経済的にも先の見えない不安な世の中であると感じる人は多いでしょう。それは日本の諸教会とて例外ではありません。そのような自分たちの教会で手一杯と思えるような状況でもやはり宣教協力は必要です。

未伝地への開拓もその一つです。そしてある程度の大きさの教団になるとフルサポートで支援しつつ開拓の働きをしていくことも可能ですし、教団としてサポートしていく場合は大々的にアピールがされますので、それなりに献金が集まります。それはそれで祝福ですし、これからもやっていくべきことであると思います。

でも、私はあえて言わせていただきますが、アピールもされずに経済的に厳し中を通らされている全国の未自立教会が多数あること忘れてはいないでしょうか。そういった教会は十分な支援も得られずに牧師夫人あるいはご夫妻でアルバイトをしながら牧会をされている方々が多いのです。

「それは牧師の努力が足りなくて人数が増えないから苦しいのだ!」と言ってしまう人がいたらあまりにも現状を知らないと言わざる得ません。地方開拓は、地方ならではの因習、偶像との戦い、人口の減少の問題等、教会の人数を増やし自立していくことが容易ではない地域がたくさんあります。そういう教会こそアピールがなされ、充分な支援がなされていくべきではないでしょうか。

世界宣教という視点で見れば福音宣教の広がりということは考えていくべきですし、私もそれは否定しません。ですが、宣教協力をしていくべき既存の教会が潰れてしまっては意味がありません。現状は残念ながらそのような教会がなおざりにされているようにしか思えません。開拓と共にすでにある教会の祝福のためにも宣教協力をなしていくべきではないでしょうか。

世の批判よりも福音の素晴らしさを

テレビの料理番組を見ていると、出演者の方が「IHだから火力が弱くて中々温まらない」と料理が早く出来ない言い訳をしておりました。確かにそういう話はよく聞きます。でも私は疑い深いので(笑)ちょっと調べてみますと予想通りでした。

IHの火力不足を感じる方は大抵、低出力のものを使用しているようです。後付けで100V仕様のままとか、お手軽な卓上のものを使っているケースです。あとは調理器具が合ってないケースですね。きっと上記のテレビ番組のものもそのようなものだったのでしょう。それってカセットコンロを使っておいて「ガスって火力弱いね」と言っているようなものですよね。実際はちゃんと備え付けで200V仕様とかにしてあるものはむしろガスより高火力でお湯も早く沸くようです。

何故こんな誤った認識が広まったかをちょっとググってみますと、なんと大手ガス会社がHPとかで堂々とIHの批判を並べるネガティブキャンペーンみたいなことをやってるんですよ。驚きました。じゃあ、ガス会社の言っていることだから正しいことなのかと言えば、決してそんなことはありません。事実、私の友人宅のIHでお湯が早く沸いたり、不足なく調理したりするのをこの目で見ております。

選挙の話題の時にも少し触れたのですが、ライバルの批判をする前に「ガスってこんなに便利なんですよ!」と自分たちの主張の素晴らしらをアピールする方が好感が持てます。ましてや批判の中に誤った情報まで入れるというのはいただけないですね。

聖書のみことばは、この世の価値観とは違う価値観があります。それ故、この世の状況を見る時、聖書的に過ちであるということもたくさんあるでしょう。でも、それはバランスが大切だと私は思います。「あれは間違ってる!」とか「これは正しくない!」とかばっかり言っていたら、世の中の人は、本当に伝えたい福音を聞く前に心を閉ざしてしまいます。

地の塩、世の光としてキリスト者が世の中の過ちを指摘することは必要なことでしょう。でも、もっと必要なことは福音のキリストイエスの素晴らしさを伝えることではないでしょうか。いくらキリスト者の使命だからといって批判ばかりしていたらいずれ誰も耳を傾けてくれなくなってしまいます。バランスって大切なのです。

知らなかったでは済まされない問題

 鳥取で大きな地震がまたありましたが、こういう時に必ずと言っていいほど出てくるのがSNSのデマ投稿やデマツイート。そしてデマは興味を引くような内容にするのが殆どなので瞬く間にシェアされ拡散されていきます。今回もすでにありました。一番悪いのは発信源であるのは言うまでもありませんが、それを信じ込んで拡散させた方々はそれがデマだと発覚した時にさりげなく投稿を削除される方が多いようです。まぁ、そのままにして放置しておくのは問題外ですが…

 でも本当にそれでいいのでしょうか?私はたとえ発信源でなくとも、情報源のウラをろくにとりもせずに「ひどい!」とかいった感情だけでシェアしたりリツイートしたりした側にも責任があるのではないかと思います。熊本地震の時はデマを流した人が逮捕されました。つまりそれは犯罪行為であったという事です。であるならばその犯罪行為に加担した責任は広めた人すべての人にあるべきだと私は思います。

 「デマとは思わなかった」では通用しません。客観的に考えて不自然な点はないかとか、他にも同じ内容の情報源があるのかとか、その情報に関連する団体や企業はどう言っているのかとか、少しウラを取れば、それがもしデマであるならば大概のものは分かります。はっきりしないものは「本当かどうかわかりませんが…」という情報源の信ぴょう性に関しての前置きをしたうえで拡散するか、あるいは拡散しないかのどちらかにするべきでしょう。

 そしてもし、デマだと見抜けずシェアなどしてしまったならば、さりげなく削除するのではなく、その情報がデマであったために削除をしたということををはっきりと伝え、お詫びをする投稿をするべきだと思います。仮に削除に気づかなく(そのパータン結構多いと思います)、デマをそのまま信じ込んだままの人がいたらどうするのでしょうか。ですから発信源だけではなく、広めた側にも物事を収める責務があるのではないでしょうか。

 神の御前に犯した罪はキリストの十字架の贖いによってすべて赦されます。その罪の中にはそれが罪だとわかっていながらも犯してしまった罪と、神を知る前までは、それが罪だとわからなかったものもあるでしょう。ですが、もし、神の御前に悔い改めるならば、その罪によって生じた事柄に対しての責任を取らなければなりません。

 誰かを傷つけたならば、その人に謝罪をして関係を回復させる必要があります。「私はもう赦されているんだからもういいよね!」なんてことにはなりません。それを言ってしまえば極端な話、犯罪行為を犯しても神の御前に悔い改めれば刑罰から逃れてもいい…なんてことになってしまいます。たとえ知らずに犯した罪であっても、もしそれが罪だと分かったならば神の前に悔い改めると共にその罪によって不利益を被った人もいるのだということを覚えて誠意を尽くさなければならないのではないでしょうか。

その憤りは正しいのか

あるテレビ局の報道番組で沖縄に来る外国人観光客相手の違法ガイドの事が取り上げられていました。留学生として沖縄に来た若者がそのまま違法ガイドになってしまうことが多いようです。その影響が正規に営業している観光業に出ているようです。

それはそれで深刻なのですが、私がもっと気になったのは潜入取材です。番組の外国人スタッフを使って観光客を装い、実際に無資格でのガイドや白タクなどの違法サービスを受けながらさりげなく質問していくというものです。

これって違法なんじゃないですかね。取材するだけならまだしも、違法だと明らかに認識しながらそのサービスを受けているのですから、違法行為に加担しているわけです。番組では映らなかったけど確実にお金を払ってるでしょう。でないとトラブルになって番組どころではなくなりますからね。

こういった潜入取材ってよくありますよね。違法な客引きに実際にのってしまったり、いわゆるボッタクリバーに潜入して実際に高額な料金を支払ったりなど、いかにも悪を暴いで正義感を振りかざしたかっこいい報道のように見えても、それらは自分たちが違法行為だと認識している以上は、それは違法行為に加担しているのです。違法行為を暴く正義のために自分たちが違法行為にのっていいなんてことは本当はあってはならないんじゃないかと思います。

クリスチャンの皆さん。隣人が過ちを犯した時、憤りを覚えることはないでしょうか?誰しもあるでしょう。でももしその憤りの理由をあまり考えずに感情をそのまま相手にぶつけてしまった時、今度は自分がその隣人に対して過ちを犯してしまうことになるのです。そしていつのまにか理由なんてどっかいってしまって相手をやっつける目的にすり替わってしまうのです。

もちろん、心に思っているだけならいいということではありませんが、相手にその感情をぶつける前に、その怒りの理由をしっかりと考えるべきです。そしてもしそれが本当にみことばの正義からくるものであるならば、相手が罪を悔い改めて神に立ち返るには何が最善であるのかを考えましょう。相手の行為が神の御前に正しい行いではないのだとしても、それを正すために自分が神の前に正しくない行いをなしたのであれば、それはとても悲しいことです。

自戒の意味も込めてです。


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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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