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確かなもの

 エコカー補助金が今月初旬に打ち切られました。期間限定ではなく、財源限定だったので、いきなりこのような日が来るのは分かっていたことではあるのですが、財源が尽きるのが販売店側やユーザー側の予想以上に早かったようです。まぁ、仕方ないですね。エコカー減税の場合は税金の収入が減るだけですが、補助金の場合は私たちがすでに納めた税金の中から支出されるわけですから、期間で区切って支出が予想できないというわけにはいかないのでしょう。私としては仕方がない結果だと思います。しかし、契約する前に打ち切りを知った人は問題ないのですが、すでに契約をして納車待ちという中で打ち切られたのはユーザーとしては納得がいかないでしょう。プリウスなどの人気車種は今でも納車数カ月待ちのバックオーダーをかかえていますから「あんなに早く注文したのに!」という声が出ても当然でしょう。

 この原因を「国がいきなり補助金を打ち切ったから」という人もいますが、私はそうは思いません。先に述べたように、税金の支出が伴うからには「期間内であればいくらでも出しますよ!」というわけにはいかないのです。何が原因かというと販売店側の対応ではないでしょうか。実際にテレビのインタビューに答えていた人の中に「2か月前に注文した時は『まだ間に合いますよ!』と言われたのに…」という声もありました。きっと「もしかしたら補助金が打ち切りになってしまうかもしれません」と事前に言ったのであれば納得したかもしれません。売る側としてはそんなことを言って購入を躊躇されたくなかったのでしょう。ある自動車販売会社社員は「安易に確約をしてしまった社員は自腹で補助金分を払わされるかもしれない」とも言っていました。期間限定ではなかったのですから、確約はするべきではなかったということです。

 教会はどうでしょうか?確約できることはあるでしょうか?それは「あります!」と私は答えます。何を確約できるのでしょうか?あたたかなもてなしでしょうか?きれいな賛美でしょうか?生活の助けでしょうか?これらは教会がなすべきことではありますが「確約」できるものではありません。何故なら人は皆、弱さをもっているからです。教会が確約できることはだだ一つ「聖書のみことば」です。「聖書のみことばは人によって信じる部分が違ってもいいのだ!」とする意見があります。しかし、それでは人によって聖書の価値基準がバラバラになってしまい、到底「間違いありません!」と確約できるものではなくなってしまいます。いつ、誰が読んでも変わらない約束であるからこそ聖書は確かなものであるのです。やはり教会の土台はみことばですね。

「バッシング」…その根拠は何?

 先日、米国の調査機関がトヨタの電子制御システムの欠陥問題の調査において「欠陥はない」とし「運転手の操作ミスなのでは?(つまりアクセルとブレーキを踏み間違える)」との結論を出しました。米国自動車産業関係者は「アクセルペダルがフロアマット等に引っかかり、戻らなくなった可能性はまだある」と述べていましたが、逆にその発言は、電子制御に欠陥はなかったことを認める発言でもあります。米国でのトヨタに対する風当たりはまだまだ強そうですが、信頼回復は時間の問題でしょう。

 トヨタの電子制御問題の一連の報道がアメリカでなされた時期、日本のマスコミも同じようにして、電子制御を疑う報道が相次ぎました。その影響からか、日本国内を走っている車でも電子制御を疑う声が出始め、いまだにトヨタ車のリコールが出るたびにニュースで取り上げられたりしています。リコールなんてどのメーカーも普通にあることなんですがね。

 日本国内ではトヨタ車は圧倒的なシェアです。それだけ人々に支持されているということなのだと思いますが、ひとたび何かあると根拠なしに自国のメーカーをいとも簡単にバッシングします。アメリカ側がバッシングするのは、いろいろな意味で理解できますが(決して良いことではないですけど)、明らかな欠陥があるわけでもないのに一緒になって自国のメーカーを批判するのはどうかと私は疑問に思います。冷静にそのメーカーを評価するならば、支持するべきか、しないべきかがおのずと見えてくるのではないでしょうか。故障だって、絶対しない車なんて存在しませんからね。故障率からするとトヨタはかなり低い方で、あえて名前は挙げませんが、トヨタより圧倒的に故障率が高いメーカーなんていくらでもあります。別に私はトヨタ党というわけではないですよ。あくまでも客観的な判断です。車もバイクもホンダ車に乗ってますし(笑)。

 イエス・キリストはエルサレム入場の際、大勢の人々の大歓声で迎えられました。まさに救世主のような待遇です(実際にそうなのですが)。しかし、その週末には人々の歓声は「十字架につけろ!」という罵声に変わります。あれだけ喜んで迎えたのに、こうも短期間で何故?…と疑問に思うような変貌ぶりです。これが人の弱さであると私は思います。民衆は本当の意味での救世主としてではなく、自分たちをローマ帝国の圧政から解放してくれるヒーローのように思っていたのでしょう。それが違うと分かると手のひらを返したように態度が変わります。また、冷静に主イエスの目的を理解しようとせず、ただ周りの状況で判断したために、ある声に流されるようにして「十字架につけろ!」となってしまったとも言えます。

 トヨタ車を支持するのに「みんな乗ってるから!」という理由ならば、乗る人が減ればその人はいとも簡単に別の車を乗ることでしょう。しかし「品質が信頼できるから」と理由であるならば、たとえ周りが違うメーカーの車に乗り換えても、変わらず乗り続けることでしょう。同様に私たちは周りの状況や自分の勝手な価値観でイエス・キリストを信じているわけではありません。もしそうであるならば、自分に都合の悪いことだけ切り離して信じたり、嫌なことがあるといとも簡単に信仰を捨て去ったりしてします。私たちは「聖書のみことば」という揺らぐことのない真実故に信じることができるのです。それは周りが変わろうとも、時代が変わろうとも、自分自身の感情が変わろうとも、決して変わらない真理です。この真理を土台とした信仰生活を送っていくものでありたいです。

「全体」と「個人」

 先日、サマージャンボ宝くじが発売となりました。(※この記事は宝くじ購入を推奨するものではありません。念の為に…)一攫千金を狙う多くの人々が行列をなしている光景がテレビで中継されていましたが、毎回、宝くじ発売の度に大行列をつくるのが東京○座のとある宝くじ売り場です。私も、東京に住んでいた時に、一度、その行列に遭遇しましたが「芸能人でも来てるの?」といった感じの大行列にびっくりした記憶があります。

 このような宝くじ売り場は全国で数か所あると思いますが、その理由はみなさんもご存じの通り、過去の高額当選本数が多いという理由です。また、購入枚数にも傾向があるらしく、高額当選者の購入枚数の統計によると、たくさん買った人が上位なのではなく、1位が30枚、そして2位が10枚だそうです。このような売り場や購入枚数のデータから、少しでも当選確率を上げようと工夫をする人が多いわけです。報道では「当選確率は同じはずなのに、このようなデータがあることは無視できない!」と言っていましたし、実際にデータを無視していないから、○座とかに行列ができるわけです。

 しかし、みなさんの夢を奪うようで申し訳ないのですが、はっきり言って、このデータはあてになりません。何故なら、実際に売り場ごとの当選確率は、多少差はあっても、そんなに変わらないはずだからです。何故、一部の売り場で多くの高額当選者が出るかというと、答えは簡単です。大勢の人が買った分、それだけ「売り場」としては多くの高額当選が出るのは当たり前なわけです。おそらくですが、一昔前にたまたま、その売り場から高額当選が多く出て、結果的に多くの人々が購入し、そして、その分、当選本数が増えたのでしょう。「最初に多く出ることが珍しいのでは?」と思う人もいるかもしれませんが、確立と統計の観点から言えば、そんなことは当たり前なことです。例えば、サイコロの1~6の目の出る確率はすべて「6分の1」ですが、6回サイコロを振ってすべての目がバラけるなんてことの方がめったになく、実際は同じ数字が何度か出ることが普通なわけです。それを特別な意味があるとして「この売り場は当たりやすい!」となって多くの人が訪れ、結果的に当選本数が多くなったのでしょう。

 そして購入枚数の件も全く同じで、100枚、200枚と大量に買った人よりも、30枚、10枚と買った人が当たりやすいと思われている統計も、実際にそんなことはなく、普通に考えると分かることなのですが、宝くじに何万円もつぎ込む人よりも「1万円以内ぐらいなら…」と思う人の方が圧倒的に多いわけですから、高額当選者の購入枚数が、このような統計になることは自然なことです。もちろん、そういった事実を認識したうえで理論無視で、いわゆる「げんかつぎ」でその統計を利用する人もいると思いますが…つまり結論は、統計上、売り場や購入枚数に傾向があるように見えても、一人ひとり、1枚1枚の当選確率は決して変わらないということです。

 教会では、場合によっては「統計」というものを大切にしなければなりません。しかし、その統計が真実であるか、そして、一個人として考えた場合、その統計は意味をなすのかということを冷静に考えなければなりません。その代表的な例が「教会学校」です。近年、日本の多くの教会で教会学校の子どもたちの減少が深刻な問題となっています。その理由として、信仰継承の問題や、地域の年齢層の問題が挙げられたりしますが、時折「近年の日本の少子化の影響で…」という声を耳にしますが、断言できますが、それは大きな誤りです。何故ならば、日本の子どもの減少率と、教会学校の子どもの減少率には大きな差があるからです。教会の子どもの減少の原因を「少子化」というならば、、同じ減少率でなければならないわけですが、日本の少子化のスピードよりも教会学校の少子化のスピードの方が遥かに早いのです。しかし、それら二つを比較したような統計は見たことがありません(少なくとも私は)。統計というものは正しく用いられてこそ意味をなします。

 また「トラクトを1万枚配っても1人しか教会に来なかった…」とか「ホームページを開設しても1日に数人しか閲覧されていない…」等、「統計」で私たちは思い悩んだりすます。もちろん大勢の人が教会に来てくださったり、多くの人に教会のHPを見ていただきたいのですが、全体の確率がいくら上がっても、福音は一人ひとりに向けられているものです。逆に言うならば、トラクトが1万分の1しか用いられなかったとしても、その一人にとっては唯一のものとなります。誰にも代われるものではないのです。私たち教会は、大勢の人が教会に訪れることを願うと同時に「その一人の為に!」という情熱をもった福音宣教の働きをなしていくべきではないでしょうか。

「あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。」(マタイの福音書18章12節)

私たちの罪の為に…

 先日、某自動車工場を車が暴走し、12人もの死傷者を出したという痛ましい事件が起きました。車好きの私としては、車をそのような道具に用いられることは非常に悲しい気持ちになります。まだ捜査段階で明確な動機は分かっていませんが、一つ言えることは、何らかの不満を持っていたとしても、容疑者が傷つけた人々は、その不満とは全く関係ない人々であったということです。工場の敷地内で無差別に人をはねていったわけですから、それは間違いのないことです。

 もちろん、不満の原因がその人にあれば傷つけていいなんてことは絶対にありません。ましてや関係ない人々を傷つけることは、いかなる原因があっても許されることではないのです。近年、そのような事件がよく起こります。秋葉原の事件もそうです。そのさらに前には小学校に乗りこみ、全く関係のない大勢の子どもたちが犠牲になった事件もありました。近年、問題とされている児童虐待も、その根は子どもに原因があるのではなく、自分が受けたストレスのはけ口を、関係のない我が子に持っていくという分析をする専門家も多いです。統計的に日本の殺人事件は減っているそうですが、昔よりもニュースでよく耳にするような印象を受けるのは、予想を超えたこのような事件が増えているからでしょうか。あくまでも私の推測ですが…

 イエス・キリストはおおよそ二千年前、十字架にかかられ死なれました。当時、十字架刑というものは、死刑の中でも一番残酷なものだと言われていました。現に、その後の時代にはあまりにも残酷すぎて十字架刑が廃止されたぐらいです。ではキリストは、何の罪の為に十字架刑になったのでしょうか。殺人でしょうか?強盗でしょうか?それとも人の悪口を言ったり、憎んだり…とささいなことでしょうか?

 答えは、そのすべての罪故に十字架にかかられました。しかしキリストがそれらの罪をすべて犯したわけではありません。それどころか、一つの罪も犯されなかった方であったのです。キリストは、私も含め、すべての人々のあらゆる罪をその身に負われ、十字架にかかられました。ご自身にとっては、何一つ身に覚えのない私たちの罪の罰を身代わりに受けられたのです。世の中では、自分の不満を関係のない人々にぶつけるような事件が後を絶ちませんが、キリストは全人類のそのような悪い思いを自ら背負われたのです。ここに神の大きな愛が示されているのです。その愛に応えるべく感謝と喜びをもって神に仕えるものでありたいです。

「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(ペテロの手紙第一2章22~24節)

導く者の責任

 私が卒業した高校は制服での登校が校則で義務付けられていました。現在は自由化の高校が多くを占めますが、当時は指定された制服での登校をする高校の方が多かったです。そのような中で、毎年のように生徒会で「制服の自由化」という要望が出されていました。決められた制服での登校が不自由であるということもありましたが、そのデザインも不評であったようです。男子は上下黒一色のブレザーの紺のネクタイ、女子は上下あずき色のブレザーのストライプのネクタイ…と、特に女子は不満を持っている人が多かったようです(私はそんなに不満はありませんでしたが)。

 結果として、私が卒業した次の年度から制服が自由化されたのですが、私が高校3年生の終り頃に自由化の校則のの試験運用がなされました。しかし意外に制服で登校する人や一部を制服で登校する人が多かったんですね。上下完全な私服という人は少数派でした。もう慣れていたということや、私服だと洗濯が大変であったということもあったのでしょう。

 今日の話題は、そのことではなく、制服自由化の試験適用をするために生徒会から「自由化になるまではしっかりと校則を守りましょう」ということになり、しばらくの間、校門で生徒会による制服チェックが実施されました。私はズボンは制服で、上は白のポロシャツ、そしてノーネクタイという格好で行きましたら、生徒会の方に止められまして「制服自由化の為に、しっかりと校則を守って下さい!」と注意されました。ワイシャツも着ないで、ノーネクタイで、それは注意されるよ!…と思った方もいることでしょう(ちなみに上着は衣替え中だったので着てません)。

 しかし私の中では「はぁ?何をおっしゃる?」という感じです。実は校則には何て書いてあるかと言うと「襟付きの白を着用すること」と記されています。つまりワイシャツでなければならないという規定はまったくありません。さらにネクタイも校則によれば指定はされていますが、着用は義務ではありません。別に私はわざと法の目をかいくぐって意地悪したわけではなく、普段の格好をしていただけであるのです。現に、そのような服装の学生は多かったです。もちろん校則違反ではないので、注意する先生なんていません。結局、注意された生徒会の方には「違反ではないはずですが?」と言ったら不思議そうな顔をして黙ってしまいました。校則を取り締まる側が校則を熟知していないのはちょっと困ります。全部覚えろとはいいませんが、せめて制服の部分だけでもしっかり見ていたらよかったのにと思いました。

 そういえば、以前、山梨で自動車専用道で一般道と同じスピード違反の処理がされ、200人以上の人が違法な免停処分になっていた事件がありましたよね。ちなみに一般道の免停になってしまう速度は30キロ以上ですが、自動車専用道は40キロ以上なのです。このような事件が結構、何県かであったようで、酷いなぁと思ったことであります。警察の発表だと「自動車専用道との認識がなかった。指導を徹底する」と言っています。先ほどの校則と一緒で、規則を熟知していない人が取り締まりをしていたということです。でも不思議ですよね。地元の白バイ隊員や覆面パトカーなどの普段からその道路で違反の取り締まりをしている人が、そんなこと間違えるはずがないと思うんですよ。これは私の推測に過ぎませんが、いわゆる「ネズミ捕り」は、多くの人を動員しなければならないので、普段、その地域でスピード違反を取り締まっていない人を動員したのではないでしょうか。その為に、取り締まる側の認識不足が、過ちを引き起こしたと私は思います。

 さて、教会の話題ですが、聖書の基準で歩んでいるクリスチャンが、認識不足故に、誤った導きをしてしまうこともなくもありません。罪ではないことを罪と指摘されたり、逆に罪であることを「そのぐらいなら大丈夫!」と導いてしまったりしまうことがあります。勿論、クリスチャンだからといって過ちを犯さないわけではありませんし、聖書の教えを全部理解できるかといえば、それも困難なことです。しかし、自分ではなく、人との関わり合いの中では、これは注意しなければならないことです。

 あるクリスチャンが「そんなの大丈夫だよ!」と人を導き、後になって本人が聖書の理解を深めていった時に、それが重大な罪であることに気づき、大きな罪悪感に襲われることだってあります。私の知り合いには「先祖が犯した偶像礼拝の罪があなたの内にある!」と言われ、恐怖におそわれた人もいます。勿論、それは誤った聖書解釈です。私たちは一生をかけても聖書のすべてを理解することは困難かもしれません。しかし、人を導いていくときは、それが聖書の真理であると確信をもって言えることだけを伝えていかなければなりません。それを思う時、牧師の責任は重大です。牧師とて、聖書を学んでいきながら成長させていただいているのですが、少なくとも誤った聖書の真理で導くことのないように心がけたいです。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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