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それって偏見?

 昨年でしょうか、「電子制御コンバインドABS」というブレーキシステム搭載のスポーツバイクが出ました。私は非常に興味があるのですが、大型二輪なので私の普通二輪免許では運転できません。まぁ、大型二輪免許を取ること自体は、すでに普通二輪を取得しているので、あまりお金や時間はかからないのですが、問題は車両価格ですね。バイクなのに軽自動車並みの価格ですので、それなら軽自動車を買った方が便利です。そもそも私が二輪を乗っているのは趣味もありますが、維持費や車両の価格が軽自動車を買うよりもだいぶお得だからなんです。

 このブレーキシステム、何がすごいかと言うと二つの特徴がありまして、一つは「コンバインドブレーキ」であるということです。これは、その名が示す通り、複合ブレーキだということです。オートバイは前輪を右手のレバーで、後輪ブレーキを右足で操作します(スクーターとかは別ですが)。しかし、結構最適な制動力を得るためには前後のバランスが難しく、前輪ブレーキが強すぎると後輪が浮いてしまったり、前輪がロックして転倒の危険があったりします。逆に後輪ブレーキが強すぎると、前にあまり荷重がかからず、制動距離が延びたり、後輪がロックしたりして危険です。車種にもよりますが、一般に7:3で前輪ブレーキを強めににかけるのがいいと言われています。そのような配分をオートバイの方で行ってくれる装置が「コンバインドブレーキ」です。これがあると前後配分に神経を使う必要がないので、だいぶ楽になります。

 もう一つは「電子制御」であるということです。コンバインドブレーキとABSの双方を電子制御化したオートバイは世界初だそうです。「えっ!ABSって普通は電子制御じゃないの?」と思う方もいるかもしれませんが、一般的にABSは、大雑把に言って、車速やスリップを検知してブレーキのONとOFFの信号を送るだけで、ブレーキの力そのものは人がコントロールします。しかし、このABSシステムは従来の検知に加え、前後のブレーキ配分、また、ブレーキの圧力までもコンピューターがコントロールします。ブレーキは信号を送って、モーターが作動して最適に前後輪のブレーキ配分・圧力・タイヤのロック等を、すべて電子制御でコントロールするというわけです。普通のABSは作動すると「ガタガタ」と返しがありますが、このシステムはそのような振動は殆どなく、いつABSが効いたか分からないうちにバイクが止まっているそうです。凄いですねぇ~!勿論、これはあくまでもブレーキを「補助」するシステムなので、ちゃんとブレーキをかけないと止まらないということは言うまでもありません。

 そうなってくると逆に不安をよぎる人が多いのではないでしょうか。「ブレーキまで電子制御で、もし何かあったら大丈夫なの?」ということです。ブレーキは自動車やバイクの中で一番大切な部分でもありますから「もし、コンピュータがおかしくなったら?」と考えるのも当然かもしれません。しかし、それはある部分では「偏見」があるのではないかと私は思っています。「電子制御だと故障したら危険!」という偏見です。しかし、電子制御だろうと、機械式だろうと、故障したら危険であることには変わりありませんし、電子制御が故障すると何か「暴走」のようなイメージがあることも偏見です。

 そして、故障する確率は機械的なシステムよりも電子制御システムの方が遥かに低いことも付け加えておきます。アメリカで自動車の電子制御の不具合の有無で一時期話題になりましたが、実は故障の統計をみると、機械的なシステムの方が故障が多いです。プログラムって経年変化による劣化なんてありませんが、機械的なものはは経年変化による劣化って当然ありますからね。飛行機だってそうです。あらゆる計器や制御が電子制御ですが、機械式であった昔と比べると、事故の確率は格段に減っています。実際に体験もしていないのに「電子制御だったら危ない!」というのは偏見であると(全部とは言いませんが)私は思っています。

 教会というところも偏見があったりします。例えばここ5、6年である国のの牧師が問題を起こした話題が何件かありましたが、その影響で「○○国の牧師はヤバイ!」みたいに世間がなっていたりしますし、教会であってもその影響がないわけではありません。しかし、私は明らかにそれは民族差別ではないかと思うのです。何人かその国の牧師が過ちを犯したということは事実です。しかし、日本人牧師は一切過ちを犯していないと言えるでしょうか?答えは「ノー」です。むしろ、世論に知られていないだけで、過ちを犯し現場を退いていく日本人牧師は世間でニュースになっている国の牧師の何倍もいるということが残念ではありますがそれが実態です。

 私は「牧師とて過ちを犯すのだから仕方がない」とは思いません。牧師であるからこそ赦されないことはあるのです。それは国籍は関係なく、どの牧師も自覚しなければいけないことであると私は思います。「○○人は過ちを犯す!」というのは、まさに偏見です。文化の違い故に、うまくやっていけないこともあることは事実ですが、それは過ちや罪といった事とは全く違います。偏見は、あらゆるところに存在する危険があります。確かにその人の立場や過去が、その人の弱さや誘惑になることもあるかもしれません。しかし「牧師といっても元ヤ○ザだから…」とか「あの人は過去に、こんな酷い生活をしていたクセに何がクリスチャンだ!」等…立場や過去だけで決めつけてしまうことのないようにしたいものです。
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Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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