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導く者の責任

 私が卒業した高校は制服での登校が校則で義務付けられていました。現在は自由化の高校が多くを占めますが、当時は指定された制服での登校をする高校の方が多かったです。そのような中で、毎年のように生徒会で「制服の自由化」という要望が出されていました。決められた制服での登校が不自由であるということもありましたが、そのデザインも不評であったようです。男子は上下黒一色のブレザーの紺のネクタイ、女子は上下あずき色のブレザーのストライプのネクタイ…と、特に女子は不満を持っている人が多かったようです(私はそんなに不満はありませんでしたが)。

 結果として、私が卒業した次の年度から制服が自由化されたのですが、私が高校3年生の終り頃に自由化の校則のの試験運用がなされました。しかし意外に制服で登校する人や一部を制服で登校する人が多かったんですね。上下完全な私服という人は少数派でした。もう慣れていたということや、私服だと洗濯が大変であったということもあったのでしょう。

 今日の話題は、そのことではなく、制服自由化の試験適用をするために生徒会から「自由化になるまではしっかりと校則を守りましょう」ということになり、しばらくの間、校門で生徒会による制服チェックが実施されました。私はズボンは制服で、上は白のポロシャツ、そしてノーネクタイという格好で行きましたら、生徒会の方に止められまして「制服自由化の為に、しっかりと校則を守って下さい!」と注意されました。ワイシャツも着ないで、ノーネクタイで、それは注意されるよ!…と思った方もいることでしょう(ちなみに上着は衣替え中だったので着てません)。

 しかし私の中では「はぁ?何をおっしゃる?」という感じです。実は校則には何て書いてあるかと言うと「襟付きの白を着用すること」と記されています。つまりワイシャツでなければならないという規定はまったくありません。さらにネクタイも校則によれば指定はされていますが、着用は義務ではありません。別に私はわざと法の目をかいくぐって意地悪したわけではなく、普段の格好をしていただけであるのです。現に、そのような服装の学生は多かったです。もちろん校則違反ではないので、注意する先生なんていません。結局、注意された生徒会の方には「違反ではないはずですが?」と言ったら不思議そうな顔をして黙ってしまいました。校則を取り締まる側が校則を熟知していないのはちょっと困ります。全部覚えろとはいいませんが、せめて制服の部分だけでもしっかり見ていたらよかったのにと思いました。

 そういえば、以前、山梨で自動車専用道で一般道と同じスピード違反の処理がされ、200人以上の人が違法な免停処分になっていた事件がありましたよね。ちなみに一般道の免停になってしまう速度は30キロ以上ですが、自動車専用道は40キロ以上なのです。このような事件が結構、何県かであったようで、酷いなぁと思ったことであります。警察の発表だと「自動車専用道との認識がなかった。指導を徹底する」と言っています。先ほどの校則と一緒で、規則を熟知していない人が取り締まりをしていたということです。でも不思議ですよね。地元の白バイ隊員や覆面パトカーなどの普段からその道路で違反の取り締まりをしている人が、そんなこと間違えるはずがないと思うんですよ。これは私の推測に過ぎませんが、いわゆる「ネズミ捕り」は、多くの人を動員しなければならないので、普段、その地域でスピード違反を取り締まっていない人を動員したのではないでしょうか。その為に、取り締まる側の認識不足が、過ちを引き起こしたと私は思います。

 さて、教会の話題ですが、聖書の基準で歩んでいるクリスチャンが、認識不足故に、誤った導きをしてしまうこともなくもありません。罪ではないことを罪と指摘されたり、逆に罪であることを「そのぐらいなら大丈夫!」と導いてしまったりしまうことがあります。勿論、クリスチャンだからといって過ちを犯さないわけではありませんし、聖書の教えを全部理解できるかといえば、それも困難なことです。しかし、自分ではなく、人との関わり合いの中では、これは注意しなければならないことです。

 あるクリスチャンが「そんなの大丈夫だよ!」と人を導き、後になって本人が聖書の理解を深めていった時に、それが重大な罪であることに気づき、大きな罪悪感に襲われることだってあります。私の知り合いには「先祖が犯した偶像礼拝の罪があなたの内にある!」と言われ、恐怖におそわれた人もいます。勿論、それは誤った聖書解釈です。私たちは一生をかけても聖書のすべてを理解することは困難かもしれません。しかし、人を導いていくときは、それが聖書の真理であると確信をもって言えることだけを伝えていかなければなりません。それを思う時、牧師の責任は重大です。牧師とて、聖書を学んでいきながら成長させていただいているのですが、少なくとも誤った聖書の真理で導くことのないように心がけたいです。
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Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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