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「社会情勢」と「聖書」、どっちが大切?

 今週は、私が所属している教団の教団総会が行われました。多くの議題が審議されたわけですが、その中の一つに「女性教職の正教師按手の件」が審議されました。つまり、牧師である夫の妻が正教師となろうとする件です(単身牧会者は今までも按手を行っています)。結果から言いますと可決されたわけですが、それは一定の要件を満たしていることが条件でした。それは主に以下の4つです。

1.召しの確認
2.務めの十分性
3.教会における秩序の保持
4.夫婦の秩序の保持

※多くの教団がそうでありますが、教会における教職には「補教師」と「正教師」があり、「正教師」のみに聖礼典の執行(洗礼式と聖餐式)が許されています。

 詳しい審議内容は議事録がまだ公開されていませんのでここで言うことはできませんが、賛成と反対との両方の意見が出ました。確かに現代は「男女平等」という事が大切にされますので、賛否両論はあるでしょう。しかし、私は聖書の真理に立つべき牧会者として、神様は本当に男女平等に人を創造されているのだろうかという疑問を投げかけたいと思います。つまり「人権」は平等にあるべきですが「役割」においては、神様はそれぞれ違った役割を与えられているのではないでしょうか。例えば、本当に神様が男女に同じ役割を望んでおられるのであれば、男性も子どもを産めるはずです(あくまでも一つの例としてですが…)

 近年は女性のあらゆる分野での社会進出や、「主婦」ならぬ「主夫」が増えていたりもします。「草食系男子」や「肉食系女子」なるものも出てきて、30代半ばにさしかかろうとする私には、わからないものも多々あります。私はそのすべてが間違っているとは決して思いませんが、ある部分では、聖書の真理から逸れるような事柄もあるのは事実です。というわけで私は上記の3と4が条件に入っていることは賛成の立場です。教団によっては女性の正教師按手そのものを認めてないところもあるぐらいですからね。ちなみに誤解のないように言っておきますが、あくまでもこの論議は「夫婦」で正教師となろとする場合の論議です。

 また、1の「召しの確認」ということも大切な事柄ではないかと思うのです。これは男女問わず大切なことです。何故なら、教会における「正教師」とはただ単に「資格」ではありません。資格の要素はあるのですが、それは全体的意味合いの一部です。神学的話になりますが、正教師は「聖礼典の執行」ができます。それは「教会の牧会」と深く関わっています。つまり正教師の資格を取り、按手を受け送り出されるということは、その人が牧会に召されているかどうかということなのです。「取れる資格ならば取っておけばいいや!」という国家試験とは違いますし、ただ単に「フルタイムで働きたい!」という事ととも違います。他の意見もあろうことかと思いますが、私はそのように思っています。それを考えると私自身も神様から重要な役割を与えられたのだと身の引き締まる思いです。

 いずれにせよ今日の話のポイントは「社会情勢」や「一般常識」は大切にしつつも、それらは聖書の真理には絶対に勝らないということです。教団全体においても、教会単位においても、時代の移り変わりと共に変化していく部分はこれからもあるでしょう。しかし、みことばの真理は決して変わりません。どのような時代が来ようとも、みことばに立ったものでありたいとチャレンジを受けました。
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