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必要なしつこさ

 最近、あちらこちらで地デジのPRがなされています。まぁ、当然といえば当然でしょうか。2011年7月には、確実に地デジにするしかないわけですから。しかし、PRと同様、「アナログ放送の右上の”アナログ”の表示がしつこい!」なんて声もよく聞きます。新聞の投稿欄ななんかにもあったりなんかもします。確かにアナログ放送を見ている人にとってみたら「もう十分わかっているよ!!」と言いたくなる気持ちもわかります。勉強と一緒で、あまり言われると逆にしたくなくなるという心理もあるのだと思います。

anarogu←この表示のことです


 しかし、一方では、十分認識していない人たちもいることも事実です。全面地デジ化は、チューナーを買ったり、テレビを買い換えたりするので負担であるとか、国で一方的に決めたとかさまざまな意見もありますが、2011年7月にアナログ放送が終了するのは、これから訪れようとしている紛れも無い現実です。だからこそ「しつこく」アピールしているのだと思います。「あの”アナログ”の文字はたまに表示すればいいのではないかと思うところですが、そのようにすると、2年後の現実を迎えた時に「何でもっと事前にPRしてくれなかったのか!」という人たちが「必ず」出てくるのだと思います。そう言われないためにも、賛否両論はありますが、たとえ嫌われても「必ず訪れますよ!」というしつこいぐらいのアピールがなされているのではないかと思います。

 教会において「礼拝を守りましょう!」「聖書を読みましょう!」「祈りましょう!」など、繰り返し言われることが多々あると思います。でも、これらを勉強や地デジのように「あまり言われると、やりたくなくなる」とか「しつこい」とか言うことが正しいのでしょうか?これらは、聖書を通して神様御自身が私たちに望んでおられる願いです。しかし、私たちは自分自身の力だけで、そのような生活をなしていくことは難しいのです(というよりも、できません。少なくとも私は・・・)。だからこそ、大切な真理は繰り返し教えられる必要があるのだと思います。

 特に「福音」に関しては人からどう思われようと、「自分は罪人であり、キリストの十字架を信じることによってのみ、その罪が赦される」ということを伝えなければ、人は救われません。個々の導きにおいては配慮が必要であると思いますが、教会そのものが福音を伝えることを「しつこいと思われたくない」「嫌われたくない」からといってやめてしまったら、その先に信じていない人々に訪れるのは神の裁きです。これは地デジ以上に確実に訪れることであります。福音は勉強と違って、伝えなければ信じることができません。だから私たちは、「宣教の教会」であることを忘れてはならないと私は願います。


「 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」(ローマ人への手紙10:14)

 ちなみに我が家は2年ほど前に地デジ対応のテレビにしましたが、今のほうが同じスペックのものが数万円は安かったりします。まぁ、電化製品は日進月歩なので、いつ買っても、同じことは思うのだと思いますけどね。
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