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信仰的自由

 今日はちょっと政治のお話しです。

 今月は参議院選挙があります。ここ数年、選挙の度に憂鬱な気持ちになります。それは政治に関心が無いとか、投票に行きたくないとかいうことではありません。この時期になるとキリスト教界の選挙誘導とも取れるような発言や文章が出回るので憂鬱なのです。特定の教団に所属しているからといって投票に自由がないなんておかしくありませんかね?例えば憲法改正によって信教の自由がなくなるのであれば断固阻止しなければなりませんが、「可能性」という段階の中で、憲法改正を進める政党に投票してはならん!…なんていうのは乱暴過ぎやしませんかね?

 10年ほど前でしょうか、トム・クルーズ主演の「マイノリティ・レポート」という映画がありました。予知能力者によって犯罪を犯すと予知された人を犯人になる前に阻止…ではなく「逮捕」してしまうという近未来SFです。映画の最後では実際に犯罪を犯していないのに逮捕されるのはおかしいということで予知によって逮捕された全ての人が釈放されるというストーリーです。確かに現与党は「可能性」としては信教の自由が危ぶまれる問題があります。でも誤った方向にはいかないように祈りつつ、その他の政策でガンバってもらいたいと「別の可能性」に願いをかけることはクリスチャンとしていけないことなのでしょうか?私はそうは思いません。

 「経済等別の問題で論点を覆い隠している!」なんていう人もいますが、そういう人は前政権で公共事業が大幅に削られて経営がピンチだというクリスチャン経営者を目の前にして「与党には投票はするな!」なんて言えますか?拉致被害者にとっては現政権の姿勢は希望となっていると思いますが、そのような方々の前でも同じことが言えますか?もちろん現政権も前政権もその他の政党も良いところもあり悪いところもあります。私たち一人ひとりの立場によっても求めが違います。選挙権は神から教団や教会に与えられているものではなく、一人ひとりに与えられているものです。だから選挙誘導なんてことは絶対にしてはならないことです。それこそ「信教の自由」を奪ってはいませんかね?

 原発の問題も然りです。もし、多くの政党が憲法改正や原発を支持したらクリスチャンは投票は拒否するのですか?そもそも信教の自由や戦争放棄という観点のみで憲法改正そのものを反対するのはいかがなものかと思います。例えば政党の殆どが原発推進とかになったらクリスチャンはやはり投票拒否でしょうか?それとも憲法改正や原発に反対の政党が政策的にも信仰的にも投票したくないと思う政党しか残ってなくとも投票するしかないのでしょうか?これは非常に難しい問題で、教団レベルや教会レベルで安易に統一見解を出すべきではありません。

 まぁ、大体選挙誘導の文書が配布される時には「○○党に投票するな!」とか「○○党に投票しなさい!」なんてことははっきりと言わず「参考としてください!」という文章になるのですが、政党を名指しで批判しておいて「これは参考文章だ!選挙誘導ではない!」なんて詭弁が通用すると思っているのでしょうか?本当に主張することが信仰的観点からも正義なら、はっきりと「○○党には入れてはいけません!」と言えばいいのですが、そのような選挙誘導が悪いことだと分かっているからこそ「参考に…」としているわけですよね。つまり悪いことだと分かっていてもうまく言葉を変えて公の文章にして配布してしまう…本当にそれが神の前に正しいことなのでしょうか?

 正直、私はそのような文章の内容そのものの大部分は賛成ですよ。それでもこうして記すのは、選挙の自由は絶対に守られるべきであるという理由からです。
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