スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一人ぐらいならOK?

 現在、長野の妻の実家に来ています。妻が出産を控え、帰省しているので、私もたまに行くようにしています。それにしても長野の夜は涼しい!雨が降ったせいもありますが、エアコンも扇風機もなく、窓が閉めきってありますが、全然平気です。

 今日は高速の休日割引で長野に帰って来たのですが(いや~、休日千円は本当に助かります。普通だと片道で5000円以上かかるので)途中で渋滞にハマり、一時間ぐらい余計にかかってしまいました。原因は休日割引目当ての車が多いということもありますが、一番の原因はマナー違反の車が多かったからでしょう。

 というのも、上信越道はある区間が一車線づづの対面交通になっているのですが、途中のICの周辺だけ二車線になっています(四ヶ所ぐらいあります)。一車線だと当然追い越せないので、二車線なった途端、みんな追い越しにかかります。

 まぁ、普段は何の問題もないのですが、交通量の多い日は話しは別です。マナーの悪い車は、だいぶ前から表示されている車線減少の標識を無視して追い越しをかけつづけます。そんな車が多発すると、合流地点で慌てて列に入ろうとする車が詰まって、渋滞を引き起こすのです。

 しかも、非常識な事に、最初の一回は「知らなかった」でいいかもしれませんが、そういう車にかぎって、残りの四ヶ所ぐらいでも同じことするんですよね。この渋滞はまだ車が流れていて充分に余裕があるうちに走行車線に戻れば起きない渋滞です。「自分一人ぐらいは強引に割り込んでも平気だろう」と言って、みんなが同じことをしてしまったんですね。

 アカンは神様に全てを聖絶するようにと言われていたのに、こっそりと自分の為のものを取り分けてしまいました。アナニヤとサッピラは自分たちの土地を売った代金の一部を、全てであると偽って神様にささげました。この人たちには神様からの大きなさばきがくだります。彼らの共通していたことは「自分一人ぐらいは」と考えていたことではないでしょうか。

教会において「自分一人ぐらい」といって、みんなが同じ過ちを犯したら主の教会は成り立ちません。それに神様の御前には「大勢の中の一人」ではなく「神と自分」という一対一であるのです。ボンへッファーは「共に生きる生活」という本で「誰かがいれば不安であるとか、一人でいれば不安であるという者は注意が必要だ」と述べています。「自分一人ぐらいは」ではなく、常にキリストのからだの一部であり、同時に神様との一対一の関係であるということを心がけていたいです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
リンク
最新記事
カテゴリ
カウンター
検索フォーム
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。