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ゆずれない真理と信仰の自由

 諸教会や諸教団には、「守り行うべき勧め」と「絶対に妥協できない真理」との二つが存在すると思います。

 前者は、聖書のみことばに反するものは行なうべきではないし、みことばによって勧められていることは行なうべきであるということですが、たとえ洗礼を受けてクリスチャンとなっても、その全てを守り行なえる人は誰ひとり存在しませんし、また個人の受け取り方で是非が分かれる部分があります。それ故、個人ならともかく全体で統一した禁止事項等にできないものが多々あります。

 一方「絶対に妥協できない真理」とは、誰かによって見解が分かれるものでもなく、たとえそれが受け入れられなくとも決して妥協してはならない事柄です。聖書霊感説や三位一体論、キリストの十字架の贖いと復活、救いの教理、再臨信仰などです。これらを否定する場合は「私はこの教団や教会のメンバーだけど、これは個人の見解だから」では済まされません。これは信仰そのものの是非に関わる問題ですからね。だから受け入れてもらうよう導き、それでもダメなら出ていってもらうしかありません。だから私たちの教団も教憲ではっきりと妥協できない信仰の立場を表明しています。

 そしてこれが大切なことですが、この二つの事項は混同してはならないということです。たとえば教憲教規で規定されていないある特定の事柄に関してを教団全体として禁止事項のように取り扱うような前例は作るべきではないと私は考えます。ちなみに「この教憲○項を○○のように解釈すれば…」という反論は、教憲教規を拡大解釈すればいくらでも禁止事項を作れてしまうので、無理やり諸問題ありきで教憲から正解を探すのはルール違反ですからね(笑)。

 たとえそれが社会的な大きな問題であったとしても、そしてそれが「聖書に反する」というような問題であったとしても、全体として取り扱って軽はずみに統一見解としてしまうと「この件に賛同できない者は教団を出ていってください!」と言っているようなものです。それを許すと「聖書に反する」という理由から、お酒の問題やたばこの問題、異性の問題や主日礼拝の問題などいくらでもたくさんありますから、「我々の教団はたばこを否定します!」とか表明しなければなりません。拉致問題とか領土問題だってそうです。まさか「この問題だけは特別だ!」なんて聖書的根拠のないことは言わないですよね(笑)。

 教憲に接触するような部分ではなくても、聖書に反する事柄はたくさんあります。しかし、それらの一つ一つを統一見解として声明文を出すようなことはしていません。それは当然だと思います。誰しも弱さがありますし、それぞれの受け取り方にも幅があったり賛否があったりするからです。自衛官とかは?日曜出勤が基本のサービス業は?酒屋さんは?聖書的根拠として牧師が個人に対して導いていくことはあると思いますが、それらを全て「みことばに反します!」と言って「全体」で表明し出したら一体誰が教会に残るのでしょうか?少なくとも私は無理ですね。

 教会でも、たとえ聖書に反すると思うようなことであっても、その見解は必ずしも皆が「反する」と捉えるわけではないいろいろな問題があります。「私は三位一体は信じられません!」とか「この世界は偶然の産物だ!」とか言われたらはっきりと「ノー」と言えますが、そのようなこと以外のことは全体での見解を出すのは控えるべきであります。どうしてもと言うのであれば全体で議論した上で最高議決機関で決められるべきです。もちろん、そう決めてしまうと、その結果、教団内にいられなくなる人がいるかもしれないということは覚えておくべきです。

 ただし、信教の自由の問題だけは声明を出していくべきであることを付け加えておきます。信教の自由が脅かされると聖書に反するとかどうかとかいう以前に信仰そのものの存続に関わる問題であるからです。

 
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