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表面ではなく根本を

 以前にも書きましたが、私のバイクはクラッチカバーに穴あけ加工がなされていて「ガチャガチャ」と壊れているのかと思ってしまうほどの音を発しています。これでは世界唯一のデスモドロミックL型ツインエンジンの音を楽しめません。

clutch
 こんな感じで穴があいているわけです。クラッチを切ったときの「シャラシャラ」という音はまだいいのですが、ニュートラルでクラッチをつなぐと「ガタガタ」というものすごい打音がします。おそらくクラッチプレートがハウジングを叩いている音だと思います。

 アルミテープで穴を塞いだぐらいじゃ全く効果がありません。穴あきでない純正のクラッチカバーを入手するのが一番ですが、新品取り寄せだと部品があったとしても高額になると思いますし、某オークションだと新品ほどはしないですが、中古品なのに皆さんなかなか強気の値段設定で落札する気になりません。そこでちょっと考えてみました。「厚めのゴムか何かで穴を塞いでしまえばどうだろうか…」そこで…

clutch2.jpg
 厚めのゴムに溝を切って穴に割り込ませました。これでどうだろうか…エンジン始動…「おおっ!クラッチを切った時のシャラシャラ音がすっかり消えてる!」そしてニュートラルにしてクラッチをつなぐと「ガタガタガタ…」…見事に打音がします(泣)以前よりは気持ち静かになりましたが、本当に「気持ち」ぐらいです。効果に対して見た目がビミョーなので、もとに戻してしまいました。

 ちょっと調べてみたらクラッチプレートとハウジングをアルミ製(この年式のモンスターはスチール製)にしたらかなり静音効果があるらしいです。年式の新しいモンスターはアルミ製だそうです。社外品でもアルミ製のものがあるので、今度はそちらの方を試してみたいと思います。とはいっても安い部品ではないのでクラッチ交換の時期が来たらかな。

 やっぱり表だけの工夫ではダメなんですね。しかし中身をアルミ製にすると穴あきカバーでもそんなに五月蝿くないらしいです。しかも軽量なのでクラッチ操作が軽くなるらしいです(この時代のドカティは比較的クラッチが重いです。10分ぐらい渋滞にハマると手がつりそうになります)。

 
「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」ヨハネの福音書13章10節

 私たちの人生は問題だらけです。何一つ問題なく人生を終える人なんていないと思います。教会にはその問題の解決があるのだと思い、人間関係、進路、病気、経済的問題等、さまざまな問題の解決を求める人々がやってきます。私はそのような問題を解決してあげたいと思いますし、実際、神が働かれれば解決されることも事実です。

 蛇足ですが…

 この機会に言っておいた方がいいと思いますが、多くの教会はあらゆる問題の解決の手助けはしても経済的支援は行なっていません(全てというわけではありませんが)。何故ならばクリスチャン人口1%未満という日本の教会の多くは経済的にゆとりがあるわけではないので、経済的支援を行なう多くの場合、牧師個人のお金から支援するしかありません。そうなるといつも支援してあげられるわけではないですし、万が一支援をしてしまうと、あっという間にネットワークが広がり「あそこの教会にいけばお金もらえるぞ!」と多くの人々が訪れます。そして限界にきて支援をお断りすると「この前はくれたのに!」とか「あの人にはあげたのに!」とかキレられることもしばしあります(実際、私は体験しています)。

 「そんな支援もできないで何で牧師になったんですか?それでも教会ですか?」とキレられたこともあります。まるで牧師がお金を支援しないで普通の暮らしをしたりとか与えられている範囲で贅沢したりすることがいけないみたいな言い方をされるわけですよ。そうなると殆ど恐喝ですよ!なので私たちの教会は経済的支援は行ないません。それは教会員であってもです。あまり表だってこういう発言する牧師がいないのですが、もっと言った方がいいと思いますよ。私は経済的支援を行なう牧師や教会を否定するつもりではありませんが、それが教会のスタンダードと勘違いされると場合によってはその他多くの教会に影響を及ぼすことがあります。せめて「ウチは支援するけど、どこの教会でも支援してあげられるわけではないですよ」と付け加えて欲しいと願います。

 聖書が示す救いはそういった一つひとつの問題の解決ではありません。そうではなく根本の問題の解決である罪からの救いを得る時「足以外は洗う必要がありません」とあるように、さまざまな諸問題の解決へとつながっていきます。

 しかし、根本の問題である罪からの救いを得ていないと、いくら目に見える問題を解決していっても、新たな問題でまた苦しむことになります。たとえばお金を支援してもその人の問題が解決されるわけではありません。支援し「続けられる」なら話は別ですが…罪からの救いをいただくその先にあらゆる問題の解決が、そしてたとえ解決されなくとも、神が共におられる故の平安が与えられるのです。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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