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「罪」と「欠点」て同じですか?

 昨年度の交通事故の死者数が全国で4411人と発表されました。これは1951年以来の低水準です。ピーク時の70年は1万6千人以上でしたから、この30年余りでおおよそ4分の1に減少しています。高齢者ドライバーへの教育やシートベルトの着用等、年々、交通安全に対する意識が高まった結果でしょう。

 しかし、まだ年間4千人以上の人々が、この日本で交通事故で命を落としています。さらには交通事故件数そのものはピーク時の3割減に留まっています。これは何を意味しているかというと、交通安全の意識というよりもABSやエアバック等の自動車の技術が発達が死者減少の主原因であるということです。これは私は素直に評価したいことです。そもそも年々減っているとはいえ、いまだに年間4千人以上もの死者を出している自動車が何故、なくならないのでしょうか?答えは「必要だから」です。私も車のない生活は不便すぎて考えられません。

 世の中には自動車を「走る凶器」と称して自動車の存在を悪としている日人々もいます。確かに昔の車は危険でしたね。昔の自動車と乗り比べて真っ先に違いが分かるのはブレーキ性能です。昔の軽自動車なんて倍力装置が付いていませんから、とにかくブレーキが甘いです。今は「ちょん」と踏んだだけでキュッと止まります(その弊害で緊急時にブレーキを強く踏めない人が増えているのですが…)。排気ガスも以前は、かなりの有害物質が含まれていましたが、時代を追うごとに改正されていく世界一厳しい排ガス規制により比べ物にならないぐらいクリーンになっています。それでもCO2の問題もあり、ハイブリッド技術や完全電気自動車の開発等が年々進められています。

 ここ10年だけの死者数を見ても5万人以上の人々が命を落としています。もちろん、死者0を目指すべきですし、各メーカーも、その為に研究開発に取り組んでいますが、正直な話、不完全な人が運転する以上、それは無理であるかもしれません。言い方を変えれば、自動車も、どこぞやの分野で議論がなされている「制御しきれない技術」となるのでしょうか??しかし、自動車開発は過去の欠点を認めつつ、欠点を修正していきながらより安全に、便利に発展を遂げています。科学技術の分野はみんなそうです。最初から悪だと思って開発する人なんていません(それを利用して悪に用いようとする人はいると思いますが…)。それを「悪」だの「罪」だのいう人々がいますが、そういう開発者の功績を踏みにじるものであると私は思います。

 もし本当に自動車が制御しきれない危険なものであると認定するならば、それに代わる交通手段が必要となっていきます。しかし東京はともかく、地方都市では、かなりの交通整備が進まないと暮らしていけなくなるでしょう。でも、救急車がないと困りますし、物の物流は車がないと止まってしまいますから、年間の交通事故死者数が4千人以上いようとも、より安全な自動車社会になるように努力しながら利用し続けていくしかありません。そしていつしか本当に事故がゼロになるような交通社会が実現したら素晴らしいと思います。

 もう何のことを言わんとしているかわかると思います。私は安全な方がいいです。しかし、本当にいろんな分野のことを考えていきながら判断しなければならないはずです。その上での「反対」「悔改め」なのでしょうか?当該分野の専門家だけではなく関連する各分野の専門家の意見も踏まえ、客観的に分析した上での判断なのでしょうか?本当に議論し尽くされたのでしょうか?管理の甘さ故に事故が起きた事の過ちと、存在そのもの善悪がごちゃごちゃになっていませんか?「多くの人のいのちを危険にさらしているし、人に扱い切れないものだからこれは話は別だ!」なんていうかもしれませんが、それならばどうして1700年代から存在しいまだ多くの死者を出している自動車は反対しないんですか?私は福島の事故は実に悲しいことであると思いますが、当人たちの反対の訴えならともかく、感情論でその事故や被災者のことを持ち出して安易に罪と訴えることは、正しいことなのでしょうか?

 そして簡単に「罪」と言ってしまうこと…これはいろんな分野で発明した人を侮辱するものであると私は思います。聖書的にどう考えても「罪」なんて簡単に言えないと思いますが…もし、欠点があるならば、断罪する前に正していけばいいじゃないですか。そして本当に使用すべきではないと判断するにしても過去の開発者に敬意を払いつつ「より安全な社会のために…」と前向きにとらえていくべきだと思います。まだ結論を出すのは早すぎますよ!少なくとも私はまだ結論は出せませんから、今の段階でその是非を強制するようなことをして欲しくないです。選挙で「○○党は推進派だから投票するな!」と言わんばかりの文章があるところから送られてきましたが、「懸念はありながらも、今は○○党にやっていただくしかないから、○○党に投票はするけれども、誤った方向にいかないように祈ります」という人もいると思いますが、そのような信仰の自由さえ奪うつもりなのでしょうか?

 私自身、ある意味リスクを負ってこのような発言をしています。しかし、本来教会が第一とすべき「礼拝」「みことばを宣べ伝える」という福音派の柱が、別の話題でなおざりにされかねない懸念もいだいているからこその発言です。願わくは福音派が福音派であり続けることができるようにと祈ります。

 

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