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原発=罪?

 東日本大震災から一年余りが経過しました。一年が経ちましたが、大規模な被害でなかなか復興が進みません。特に原発問題は多くの人々の安全を脅かしています。

 この一年間、私たちクリスチャンが原発問題をどう捉えるかということも重要になってきています。完全否定の人が一番多いかと思いますが、私のように他方面への影響と考えながら長い目で考えていくべきであるという人もそれなりにいるでしょう。また、今の日本のエネルギーの現状を考えるとまだまだ原発が必要であるという人もいることでしょう。

 これらはどの意見が正しいなんてことは私ははっきりいって専門家ではないので分かりません。私自身の考えが変わらないとも限りません。それだけ原発問題はデリケートで難しい問題であるのです。実際に起こってしまった被害の対処はともかく、たった一年という期間で将来への結論を出すというのはあまりにも大きすぎる問題です。だから「クリスチャンなら反対であるべきだ!」なんてことは私は絶対に言いたくありませんし、聖書的根拠を結びつけるにもまだまだ検討が必要かと思います。

 ただし、一年しかたっていない現時点で、原子力発電を即「罪」と結論付けるのは明らかな間違いであると私は思います。原子力発電を罪とする考え方は結構いろんな教派において(必ずしもその教団の総意であるとは受け止めませんが)発言されていることです。確かに私たちが管理を委ねられたこの世界という視点からすれば相応しくなかった発電方法かもしれません。また、この原子力に頼り過ぎてしまったということも言えるかもしれません。しかし、利権が絡む今日と違って最初の人々は「自然破壊することなく発電できるクリーンなエネルギーだ」と純粋に思ったのかもしれません(あくまでも推測です)。

 もちろん今回のようなことが起きると、考えは改める必要があると思いますが、それを「罪」と言ってしまうと、世の中で罪でないものが次々と罪とされてしまうもので満ち溢れそうです。私は逆にそういう人たちに問いたいですが、神が私たちに管理を委ねられたこの地球上の中で限りある埋蔵量の原油やガスを使用する発電方法は罪ではないのですか?それでは再生可能エネルギーの普及率からすると人は暮らせなくなります。排ガス規制が強化される前の公害が大きい車を開発した人は罪人なのでしょうか?でもマルクスがガソリン車を発明しなかったら、今のハイブリッドカーだってありません。昔はアスベストを断熱材や自動車のブレーキの部品などに使っていましたが、人体に影響があると分かった今日においては、使い始めた人は罪人なのでしょうか?

 どの分野であれ、過去の功績は尊重しつつも不完全な部分を正していき、良い製品や良い利用方法が開発されていくのだと思います。原子力発電が人類にとってオーバーテクノロジーであって棄て去るならそれはそれでいいのですが、今までの事を簡単に「罪」なんて言うことは断じてあってはならないことです。今、殆どの電力会社が原発を保有しています。働いている人の中には少なからずクリスチャンもいることでしょう。「原発」=「罪」と短絡的に結びつける人々は、そのようにして家族を養うために一生懸命働いてきた末端の社員までも罪人と定めることになります。原発から一定の範囲の地域に住んでいる人々は手当を電力会社からもらっていると思いますが、それも「原発は罪だから」という考えを通すなら、今までもらったお金を全て電力会社に返して、これからもらうお金を全て拒否しなければなりません。本当にそう簡単に罪と考えてしまっていいのでしょうか。

 そもそもそのように罪と断罪する方々はしっかりとした覚悟があるのかは甚だ疑問です。現在は定期点検に入った原子炉は順次停止し、停止したままですが、もし再稼働の許可が出たら、その電力会社の圏内に住んでる人は何かしら電力を使っただけで「罪人」になるわけです。「私は原発が再稼働したら一切電力を使いません!」という覚悟があるなら結構ですが…それでも世の中の物質の多くは電力なしには製造できませんから、主張を通すためには山奥に行って仙人暮らしでもするしかないですね。それでも「あれは罪だった!」と言えますか?

 福島県に住んでいる人は今もなお苦しんでいますし、私はその気持ちを否定しようというわけではありません。責任もしっかりと取るべきだと思います。しかし、それは要不要論の問題や運営や監督する側の責任の問題であって、聖書的に罪だとか高ぶりだとかいう話ではないはずです。少なくとも私は「今まで私が人生で使用していた電力は罪がもたらした産物ですから今まで人生で電気を使ってきた罪を悔改めます!今後、それによって発電された電力は一切使いません!」なんて祈れませんし、そのような考えを他に強いるべきではありません。使用することを「現状では仕方がない」というのであれば悔い改める意味がありません。私たちは同じ罪を何回も犯しますが、悔い改める度に、二度とその罪を犯さないというつもりで悔い改めることが本当に悔い改めることであると私は思います。だから私は原発問題に関しては簡単には悔い改めの祈りなんてできません。

 原発の問題は大きな問題です。私もいきなりは無理だと思いますが、原子力や化石燃料に頼らない再生可能エネルギーによってのみ発電ができる社会になってほしいなぁと思っています。私の主張は原発の危険性を否定しているのではなく罪として取り扱うという事に対しての反論です。

 ちなみに、とあるブログの記事を見ていたら「反原発ではなく脱原発」という記事がありました。なるほどなと思いました。多少あれどみんな原発の恩恵を受けていたわけですから、闇雲に罪と定めて「推進派に騙されていた!」とか「原発は悪だ!」と反対を唱えても何の解決にもなりません。そんなふうにして推進派を叩くよりも「原発に頼らなくてもいいんだ!」という建設的な意見で世の中の人々に訴えの方がまだ説得力があると思うのですがね。

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