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個人と集団

 ダイハツが某ハリウッドスターをCMに起用して低燃費車の宣伝をしています。しかし、この度スズキも同等の低燃費を誇る車を発表しました。どちらもハイブリッド車ではありませんから、凄いといえば凄いのですが、その分、出力は多少犠牲にしているでしょう。まぁ「パワーよりも燃費」という世の中のニーズには合っていると思います。

 あちらが出せばこちらも負けじと…というメーカー同士の戦いは、どの業界でも常です。でも、メーカー同士が技術競争をやめたら、そこで技術発展はストップするでしょうから、これは必要な競争であると思います。大手メーカーが「開発にコストをかけるのはやめよう!」なんてことになったらおしまいです。

 でも、これって将来は分からないなぁという心配はあります。「何でもかんでも平等に」あるいは「あなたはあなたでそのままで…」というような教育方針が主流であるからです。近年、多少は見直されているようですが、まだまだ根強いものがあります。運動会のかけっこで順位をつけなかったり、通知表は相対評価ではなく絶対評価であるとか、ウソかまことかわかりませんが、幼稚園の劇で桃太郎が何人もいたり、集団主義から個人主義になってきたり等…いろいろです。全てが悪いとは思いませんが、何事もバランスが大切です。

 そのようにして育った子どもたちは将来どのような未来をつくっていくのだろうかと私は個人的には心配ではあります。「他人に迷惑はかけても自分が満足できればいい」という集団を抜きにした個人という思考はすでにいろいろな所で見かけます。、また健全な生存競争を抜きにした集団の中の個人は本当に個人であるといえるのでしょうか。集団があっての個人であり、個人あっての集団です。

 聖書において教会はキリストのからだであり、一人ひとりは各器官であると語られます。これは集団と個人の関係性についてよくあらわしている教えであると思います。一人ひとりは役割りの違う各器官であると同時に「キリストのからだ」という一つの集団を形成しているのです。

 皆が同じことをする必要はありません。しかし、自分に与えられている役割をしっかりなしていくことはからだの器官の一部として大切なことです。そして神は成長をも望んでおられます。「あの人は霊的に成長しても自分は自分だから…」というのは神のみこころに反します。成長速度や内容は比べる必要はありませんが「自分は自分だから」と言って他人の霊的成長を無視し、神がその人に望んでおられる成長の過程を止めてしまうことは良くないことです。「あの人、成長したな~!よし私ももっと頑張ろう!」…という聖なる闘争心はあってもいいのではないかと私は思うのです。

 これらは集団が皆同じことをしても、集団を無視した個人だけでもできないことです。神が「その人」に与えられた使命は何であるか?そして神が「その群れ」に与えられた使命は何であるかを常に共に考えていくものでありたいと思います。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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