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助けている「自分」を見てはいないか?

 東日本大震災?東北関東大震災?まだ正式名称が統一されていないぐらい混乱しているということなのでしょうが、各地の被災状況を見ていると新潟中越地震の時を思い出します。私はまだ神学生で、神学校側からの要請で被災地にボランティアに行きました。

<中越地震当時の写真です>

001
↑被災地から50キロぐらい離れている道路もこんな感じでした

002
↑避難場所になっていた鉄筋コンクリートの学校ですら床と壁が割れて傾き段差ができています

 ただ、まだ地震後5日目であったので、現地も情報が整理されていない状態で、ボランティアよりも、まだまだ救援隊や医療チーム、救援物資運搬等のその道のプロがどんどん行く方が先決であったと思わされました。道路も場所によってはボランティア等の車で渋滞になってたりしていましたからね。今回の地震で県外からボランティア等を考えている方がいらっしゃると思います。そのお気持ちは尊いものです。しかし、どうかもうしばらく待っていただき、情報が整理されてから行ってください。助けるはずが、自分たちも被災者になってしまいかねないのです。これは私の経験上からの願いです。

 さて、私は避難所になっている学校に炊き出しに行くチームに加わりました。その時に、結構いい車がやってきて、その車の後部座席から女性が降りてきました。スカートを履き、身支度もしっかり整えてあり、間違いなくどこかのテレビ局の取材にきたアナウンサーかキャスターであるといった感じでした。

 こんな郊外の避難所に何の用かな?と思っていると「すみません!ここの避難所に水洗トイレはありますか?」とかなりお急ぎの様子で訪ねてこられました。どうやら水洗トイレを求めていくつもの場所をさまよってきたようです。震災後まだ5日目で、その辺一帯は断水していましたから、水洗トイレが機能しているところなんて一つもあるわけがありません。幸いにも私が行った避難所は学校のプールに水がはってあったので、それをトイレに利用していたので、それで解決しました。簡易トイレすら使う覚悟がないのにライフラインが止まっているところになんて取材になんて来てはいけません!(そんな報道者は一部だと思いますが)

 さらには、近くのコンビニには県外ナンバーの車であふれ返っています(コンビニは自家発電があるところもありますから)。ボランティアに来たのに、被災者の食料を減らして帰って行くなんて言語道断です!中には、人と合う度に「私は”ボランティア”で来ました!」と言って強調する人もいました。もちろん、そんな人は一部だと思いますが、実際に接する被災者にとっては、そんなの関係ないわけです。「助けたい!」という思いよりも「助けている自分」に思いが行ってしまう恐れがあるわけです。

 教会の宣教の働きは人と人とのつながりは非常に大きなものです。しかし、そんな時、助けている相手ではなく、助けている自分に目がいってしまわないように注意が必要です。助けている自分に目がいってしまうと、時に自己満足になり、本当に相手の必要を満たせないこともあります。しかし助けている相手に目を向けるならば、その人の必要を考えることができます。受け入れる時は受け入れ、時に悔い改めるべきことは悔い改めに導いていかなければなりません。宣教において相手の必要を考えるとは、自分が求めているものでもなく、また必ずしも相手が求めているものでもなく、客観的に見てその人に何が必要かを考えることです。

「兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。」Ⅰテサロニケ5章14節

 その人にとって何が必要かは一人ひとり違います。しかし、共通して必要なものは福音です。福音を知ってもらうために私たちに何ができるか考えていきたいです。
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