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環境のせいばかりにはしていられない

 今日、ニュースを見ていたら、20代男性が高速道路を逆走して死亡したという事故がありました。近年、高齢者による高速道路の逆走が問題になっています。そういった流れからすると「何故、こんな若者が?」と思ってしまうような事故です。確かに年代ごとに分けて事故率を見れば高齢者の事故率が高いことは事実でしょう。でも、じつは高齢者以外が高速逆走で事故を起こしてしまうケースは珍しくありません。実際、高齢者の逆走事故の割合は、おおよそ4割ほどです。つまり残りの6割が高齢者以外であるということです。近年、高齢者の人口が増えていますから分母が増える分、事故件数も増えてきていることでしょう。それでも年齢という理由では説明ができないおおよそ6割の人が逆走事故を起こしているのです。これは何かどこかに問題があるのではないかと思ってしまいます。

 確かにこういった声は結構多いです。ですが、その多くが高速道路の構造上の問題にしています。その為、実際にICの合流地点でポールを設けて逆走しにくくしたりしていますが、サービスエリアやICの入り口の時点で間違えてしまってはその予防も意味がありません。反対から通れないようにゲートを付ければいいという声もありますが、それをしたら恐らく頻繁に渋滞が起きるでしょうし、きっと設置費用のコストが莫大となってただでさえ高い高速料金がさらに値上がりするのが目に見えています。何よりも「問題が絶対起きないような構造にする」という発想はある程度は必要ですが、限度をわきまえないと行きつく先は「車は走る凶器だから販売禁止にしましょう!」という発想になってしまします。

 私は思うのですが、車は運転することそのものにリスクがあります。各メーカーが様々な安全対策を開発していきますが、リスクがゼロになることは絶対にありません。もちろん、より安全な設計になっていくことは望ましいですが、最終的にはドライバーの意識の問題ではないかと思うのです。最善な安全策は取りながらも、運転者であることの自覚を持ち、交通法規に熟知していくことです。「そんな覚えられないよ~!」という人は、厳しい言い方ですが、免許を更新するのはやめた方がいいと思います。

 例えば同じ国家資格である医師免許を持つ方々は人のいのちをあずかっているという自覚が当然必要となっていきます。たとえ医療機器が発達してできるだけ医療事故が起きないような安全策がとられたとしても、「え~!そんなこと知らなかった!」と言って医療事故を起こしたら、それは「事故が起きる環境が悪い!」とはならず「医師免許を持ってるのになんでそんなこと間違えるんだ!」という批判を受けることとなるでしょう。自動車も扱い方を間違えれば簡単に人のいのちを奪ってしまうものです。ですから「高速は逆走しちゃだめなんて知らなかった」とか「どっちが進行方向か分かりにくいから間違えた」という言い訳は免許を持っている以上はしてはいけない言い訳です。それぐらい自動車免許とは責任あるものです。安全対策はさらにしていくべきですが、免許保有者の責任という自覚をなくしてしまうような度を過ぎた安全対策は個人的には反対ですし、きっとそんなことにはならないだろうと希望を持っています。

 人は罪を犯します。そしてそれは色々な状況の中でいつの間にか過ちを犯してしまったとか、苦しい状況だったからつい誘惑に負けてしまったとか色々なケースがあると思います。もちろんこれらの罪は悔い改めれば神の御前にすべて赦される罪ですが、犯した罪の責任は周りの状況や苦しさのせいにしてはならないのです。神の御前にはあくまでも罪を犯した本人が問われることとなるのです。状況を変えて罪から離れることも大切です。それでも人は完全ではありません。どんなに罪を犯しにくくするような環境に身を置いたとしてもゼロにはできないのです。それが人間です。ですから罪を「環境の故に仕方なし」と捉えるのではなく、日々、自らの弱さと向き合いながら歩んでいくことも大切なのではないでしょうか。

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求めるものは変わっていく

 マツダのロードスターのハードトップ版が出ましたね。

rf.jpg

 ロードスターRF。私はビビりなので、ソフトトップよりハードトップの方が安心感があります。オープンにしても後ろ側にピラーが残るので実際、ソフトトップよりも安全だと思います。走りの面でも当然、ハードトップの方が剛性が出ますから有利です。しかも、これは意見が分かれるでしょうが、エンジンが2ℓになっています(ソフトトップの方は1.5ℓ)。恐らく電動ハードトップの機構による重量増を補うためであると思うのですが、それでも車重は1,100㎏と、2ℓクラスにしては相当な軽量ですから実質的に相当なパワーアップをしてると思います。まぁ、私はこの重量なら1.5ℓのままでもいいかなと思います。

 ただ、値段もぐっと跳ね上がりまして一番安いグレードで324万円!装備が充実してしるグレードを選べば乗り出し400万円オーバーは確実です。スポーツカーとしてみればこれぐらいの価格は仕方がないのかもしれませんが、90年代のスポーツカー全盛期を知っている私としてみれば「当時のRX-7が新車で買えてしまうではないか!」と思ってしまいます。

RX-7.jpg

 かたや2ℓNAの150馬力そこそこの車、かたやロータリーターボの255馬力(後期型は280馬力!)、同じFRのスポーツカーで価格帯が一緒というのは、いくら電動ハードトップであるとしてもなんか納得がいきません。ちなみに当時の大卒初任給と現在の大卒初任給に大差はありませんし、平均年収はむしろ当時の方が高いぐらいですから、ただ単に物価が上がったというわけではありません。ロードスターRFは純粋に高い高級な車という位置づけであるということです。

 ただ、これはあくまでも私のような速い車が好きな人が動力性能を比べた場合の話であって、当時もまずは動力性能!といった時代であったからです。車の魅力は速さだけではないですからね。デザイン、乗り味、安全装備など、時代と共に車の何を見て選ぶかというのは当然変わってきます。近年は必ずしも動力性能を重視する傾向にあるわけではありません。ですからこのパッケージングで魅力を感じる人がいればそれでいいのです。自分で言っておいて何ですが「この値段でこの程度のパワーか…」というのは時代遅れの批判なんだと思います。

 
 教会が提供するものは昔から変わることはなく、これからも変わることのないみことばの福音です。しかし、その福音を提供する前の段階において人々が何を求めているのかというのは変化していきます。その前の段階をないがしろにして昔からのことばかりにとらわれてしまっては、福音を提供する以前に提供する機会さえなくなってしまいます。真理は曲げずにかつ時代に敏感な教会であるべきではないかと思います。

勝手にクリスチャン像を決めないように

先日の某国の大統領選の予想外の結果に驚き不安を感じるクリスチャンも少なくないことでしょう。さっそくSNSなどでは、そういったクリスチャンの声を目にするようになりました。そんな中には何故、その国の教会はあの人を支持したのかとの声もあります。何故ならばその国の大統領選は教会の支持を得られなければ当選は難しいからです。つまりはクリスチャンたちも、その人を支持した人が多いということです。でも、その結果を受けてその国の教会を批判することは、つまりはクリスチャンであればもう片方の女性候補を支持して当たり前だということですよね。

よく「クリスチャンであればこうあるべき!」という意見に対して反発の声があったりしますよね。私もその反発に異論はありません。でも、今回の結果に対して自分自身が残念がるのは自由ですが、どうして他の国のクリスチャンの政治的立場まで口を出されなければならないのでしょうか。今回の結果に対してその国の教会を批判することは、まさに「クリスチャンならこうあるべき!」ということを他の国のクリスチャンにまで強制しているような行動ではないでしょうか。

個人的にそういう気持ちを持つのは仕方ないかもしれませんが、それを公にしてしまうことは厳に慎むべきではないでしょうか。前にも記しましたが、正しいことなら何を言っても行ってもいいという発想は、他の考えを淘汰する行為となり、やがて行き着く先は戦争です。本当に心配なら、陰ながら祈るところから始めたらどうでしょうか。



宣教協力とは開拓ばかりではない

状況的にも経済的にも先の見えない不安な世の中であると感じる人は多いでしょう。それは日本の諸教会とて例外ではありません。そのような自分たちの教会で手一杯と思えるような状況でもやはり宣教協力は必要です。

未伝地への開拓もその一つです。そしてある程度の大きさの教団になるとフルサポートで支援しつつ開拓の働きをしていくことも可能ですし、教団としてサポートしていく場合は大々的にアピールがされますので、それなりに献金が集まります。それはそれで祝福ですし、これからもやっていくべきことであると思います。

でも、私はあえて言わせていただきますが、アピールもされずに経済的に厳し中を通らされている全国の未自立教会が多数あること忘れてはいないでしょうか。そういった教会は十分な支援も得られずに牧師夫人あるいはご夫妻でアルバイトをしながら牧会をされている方々が多いのです。

「それは牧師の努力が足りなくて人数が増えないから苦しいのだ!」と言ってしまう人がいたらあまりにも現状を知らないと言わざる得ません。地方開拓は、地方ならではの因習、偶像との戦い、人口の減少の問題等、教会の人数を増やし自立していくことが容易ではない地域がたくさんあります。そういう教会こそアピールがなされ、充分な支援がなされていくべきではないでしょうか。

世界宣教という視点で見れば福音宣教の広がりということは考えていくべきですし、私もそれは否定しません。ですが、宣教協力をしていくべき既存の教会が潰れてしまっては意味がありません。現状は残念ながらそのような教会がなおざりにされているようにしか思えません。開拓と共にすでにある教会の祝福のためにも宣教協力をなしていくべきではないでしょうか。

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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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