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永遠のいのちの問題

昨日、東北自動車道で事故を起こした車から乳児が投げ出され死亡したという痛ましいニュースを目にしました。授乳中であったとのことです。

そしてニュースのテロップには「不運」の文字がありました。不運??授乳中にたまたま事故を起こしたから不運なのですか?私には理解できません。授乳中ということは赤ちゃんをチャイルドシートから外し、母親もシートベルトを外していたということです。この時点で「不運」などではなく意図的に危険な状況を作り出してしまったということです。

おそらく、この両親は我が子が亡くなった原因を嫌というほど噛み締めておるでしょうし、警察からもたっぷり絞られているでしょうが、報道する側がこの状況で不運なんて言葉を使ってはいけません。

6歳未満の子どものチャイルドシートの装着が義務化されてからだいぶ長いこと経ちますが、街中を走っていると小さな子どもが車内で動き回っているのをいまだによく見かけます。それを見るたびにヒヤヒヤします。実際にチャイルドシートをしない理由を聞くと「子どもが嫌がるから」とか「子どもが可哀想だ」という答えが返ってきます。でもそういう人は今回のような事故のニュースを100回ぐらい見た方がいいです。

確かに子どもが泣き叫ぶと切ないですが、そのことで死んでしまうわけではありません。今回のことでいうならばパーキングエリアに着くまで我慢すればよかったのです。日本の高速道路はパーキングエリアがおおよそ15キロごとにありますから、最長でもほんの10分ぐらいなもんです。一般道であればすぐに安全に停止できる場所が見つかるでしょう。

初めから子どもが嫌がっていたとしても、これは命の問題と考えるならば本当にそれでいいのでしょうか。大人になって自分で車を運転するようになってシートベルトしないで命を落とすのは本人の責任ですが、子どものうちはたとえ子どもが嫌がってもその責任は親にあります。ちなみに我が家は、子どもたちがチャイルドシートに座ってシートベルトを装着し終わるまで1メートルたりとも車を動かすことはしません。やはり子どもを託された家族の責任は大きいのです。

これは信仰の面でも同様ではないでしょうか。信仰を強制するのは良くないと言って子どもを教会に連れてくることに消極的な親も少なくありません。(夫婦のどちらかのみがクリスチャンの場合はそれもあるでしょうから今回の議論の対象とはしません)
夫婦ともにクリスチャンの場合は子どもを教会に連れて来ない選択をするということは、子どもだけを家に残しておくわけにはいきませんから、どちらかが意図的に礼拝にいかないことを意味します。実際にそういう家族を私は何人も知っています。結果的にそのような状況で子どもが将来、信仰を選び取るかといえば難しいのが現状です。

確かにいくら親だからと言っても子どもに信仰を強制するのはよくありません。でも、教会に連れてくることは信仰の強制でしょうか?私はそうは思いません。信仰の提供はしますが、信じるか信じないかはあくまで本人の選択によるものです。それにたとえ教会でなくても夫婦ともに出かけなければならない時はたとえ子どもが嫌がっても一緒につれていくでしょうし、それを「強制はよくない!」とは言わないでしょう。

最終的には、これは永遠のいのちの問題ですから子どもを神から託された(すべてのいのちは神のご支配のうちにある故に子どもは親の所有物ではない)ものとして責任があるのではないでしょうか。

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聖書の原則

とある有名人が強姦致傷の容疑で逮捕されました。ちなみに私はこういう類の事件を「乱暴された」とか「暴行され」という言い方に置き換える報道は好きではありません。事件の本質を覆い隠し、あたかも軽い事件のように印象付けてしまう恐れがあるからです。

調べによると「欲望を抑えきれなかった」と計画性を否定していますが、私的見解で言わせていただくならば、真夜中にわざわざ些細な用事で部屋に呼びつけておいて計画性がなかったというのはちょっと苦しいのではないでしょうか。

私が今回、述べたいことは事件そのものではなく、相手の女性がどれだけ傷ついただろうかということです。もっと言うならば、互いの同意の上であったとしてもリスクが大きいのは圧倒的に女性の方であるということを世の中のすべての男性は知るべきです。

結婚に至らない体の関係は男性にとってみれば大したことないと思えても、女性はそうではありません。肉体的にも精神的にも大きな傷となります。こういった男女の差を理解しないと、時に相手のことを考えずに欲望のままの行動に至ってしまうのです。

もちろん、同意の上でのことと、無理やりのケースと同列に考えるべきではないでしょう。ですが、根本的な問題としては、男性側が女性のリスクを考えずに体を求めるということであると思います。

昨今の男女関係は、同意の上でのことであるならば独身であるならば自由になっているというのが現実です。しかし、聖書では男女の肉体関係を結婚関係にのみ与えられた祝福として語られています。つまり創世記2章が語るように夫婦関係は一心同体となることです。

結婚に至らない関係はやがて別れが訪れます。その際、一心同体になった夫婦関係のみに許された祝福を先取りしてしまう行為は、言うならば接着剤でくっつけたものを無理やりはがすようなものです。ですから必ず傷が残ります。しかもそれは女性の方が圧倒的にです。

こういった私のような男女関係の考えは、たとえクリスチャンであっても「時代遅れ」とか「それでは若い人が教会に来ない」とか言われることも少なくありません。ですが、神が制定された結婚の秩序を無視したために傷つき後悔する人々が実際にいるのです。私はいくら時代遅れと言われようとも、この原則は決して曲げることなく語っていきたいと思っています。

もちろん、悔い改める者に赦しと恵みを与えてくださるのも神であります。

探し続ける

我が家の車はマツダのMPVという車です。ミニバンの必要性を感じ2年半ほど前にレガシィから乗り換えました。

mpv

2006年式なので今年で10年落ちの年式となります。この車を選ぶ時、私が車種を選ぶうえでのいくつかの条件がありました。

①3列シートのミニバン(そりゃそうです。でないと乗り換える理由がありません)
②ロールーフ(ガレージに入る高さと、高速で風にあおられるのが怖いので、全高がおおよそ170cm以下)
③4WD(新潟市ではいらないですが、妻の実家が豪雪地帯なので帰省の可能性がある間はやはり必要)
④両側スライドドア(駐車場での子どもたちの隣の車へのドアパンチが恐ろしいので…)
⑤ゆとりのある動力性能(私は高速や山道でエンジンをうならせながら「走ればいいや」的な乗り方は好みではありません)
⑥予算内の中古で(いくらいい車種があっても買えないと意味ないですからね)

結構条件多かったですね。そもそも②の条件でミニバンの多くは条件から除外されます。④の条件がないのなら間違いなくホンダのオデッセイです。中古の球数も多いので探しやすいです。でもやはりドアパンチが怖い…。そうなると日産のプレサージュか、MPVといったぐらいしか条件に合うのがないんですよね。当時乗っていたレガシィがターボモデルだったので、あそこまでのパワーはなくとも、ある程度はないと後で不満を感じると思いましたので、ミニバンで唯一ターボモデルがあるMPVにしました。

車種を絞ったのはいいのですが、今度は探すのに苦労しました。MPVターボというだけならまだ探せないことはないのですが、そこに4WDという条件を加えると一気に中古市場の球数が減ります。新車はすでにターボグレードは絶版になってましたから中古で探すしかありません。まぁ、新車は買えませんが(笑)…2年半前の当時、ネットで全国の中古車を調べても20台弱ぐらいしか出回っていませんでした。今もそんなもんです。ちなみに同等の動力性能と思われるオデッセイ・アブソルートの4WDはこの10倍ぐらい多く出回っていますから、MPVターボの4WDがいかに探しにくいかが分かると思います。

全国で20台弱ということは、一県に一台もない計算です。しかも中古とはいえども車は大きな買い物です。買ってから何かあった時にトラブルになるのが嫌なのでたとえ他県で見つかっても買う気にはなれません。ですから県内で探そうと思ったら絶望的ですよね。まぁ、普通は妥協しちゃいます。4WDを諦めるとか、ターボモデルを諦めるとか、違う車種にするとかです。試しにマツダのディーラーで扱っている県内の中古探してもらったら一台だけあったのですが、かなりのバリものらしく予算を遥かにオーバーする金額なので諦めました。

最後の手段として、他県にも系列店を持っている市内の中古車屋さんに行って検索してもらうと…一台だけありましたよ!しかもなんとか予算内に収まりそうです。モノは他県にあったのですが、新潟まで引っ張ってきてもらって現車確認してから契約しました。これだと何かあった時もそのお店に持っていけますからね。たぶん妻はあきれていたのではないでしょうか。でもやはり車は高い買い物。妥協してあとで後悔したくありません。まぁ、こだわりは人それぞれです。とにかく安くという人もいれば燃費重視の人もいます。中古はやはり心配だからと多少条件を妥協してでも新車にこだわる人もいます。それそれでいいのではないでしょうか。ただ、私は、あの時、とにかく探しまくって妥協しなくてよかったなぁ…とつくづく思います。今のところ現行車を合わせてもこれ以上に欲しい車種が見つかりません。まぁ、家族とか使用用途とか抜きにすれば、いまでもMTのスポーツカーに乗りたいですが…


「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」

まぁ、ここまでのこだわりは別として、本当に必要であるものならばきっと与えられますよ。

批判するにも冷静に

新内閣が発足します。いつも言うようにわたしはこの内閣に対しての評価がどうであるかという政治的立場はここでは述べません。

ただ、クリスチャン(特に教職の立場にあるもの)は政治に対して意見を語る時、個人での会話はともかくとして、少なくとも公での発言やこういったブログやSNSなどでの言葉遣いに気をつけるべきであるとわたしは思います。

要は批判するにも、みことばにあるように「礼儀に反することをせず」ということです。一国の首相を呼び捨てにしたり「馬鹿か!」とか言ったり、保守系議員を名指しで偽預言者呼ばわりしたり、非戦を唱えているのに「打倒〇〇!」とか好戦的態度をとったりなど、同じキリスト者として見るに耐えないものも数知れずです。

皆さん冷静に考えてください。本当にそのような態度が主イエスが喜ばれる態度であるかを。批判は相手にダメージを与えるのが目的ですか?相手の過ちを正すことが目的ではないのですか?同じ批判でも相手を挑発するような態度は逆効果ではないですか?武器で人を傷付けるなと言っておいて言葉の武器で相手を傷付けるのはOKなのですか?正義であれば相手をケチョンケチョンにしていいなんて発想こそが戦争を生むのではないでしょうか?

それがみことばの正義を示す為なのか、それとも自分の気持ちを周りにぶつけたいだけなのか、批判するにもやり方があるのだと私は思います。でないと違う意見の人々との話し合いなんてできなくなってしまい、それこそ相手を滅ぼし尽くすまで収まらなくなってしまうのではないでしょうか。
プロフィール

☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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