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責任の所在は?

 数週間前でしょうか。にわかに信じ難い裁判の判決が出ました。それは普通に走っていた車が居眠り運転で対向車線からセンターラインをはみ出してきた車に衝突され、はみ出してきた対向車の助手席に乗っている方が死亡したという事故なのですが、なんと突っ込まれた車の運転手の方に死亡した方の遺族に対して4000万円もの賠償命令が出されたということです。おそらく任意保険で支払われるでしょうが、保険の等級も下がりますし、被告になってしまったわけですしきっと納得いってないでしょう。

 もちろん居眠り運転の運転手に対しての賠償命令も出ていますが、その額おおよそ6700万円…普通に考えればこういうケースでの過失割合は9:1とか8:2とかで、場合によっては10:0になるものです。実際、私の友達が以前、対向車線をはみ出して走行していた車に突っ込まれて10:0だったことがあります。それがなんと6:4ぐらいの割合です。この割合からするといわばもらい事故を受けた運転手と居眠り運転で対向車線にはみ出した運転手の過失がさほど変わらないということになってしまします。

 判決を一部抜粋すると…「対向車の運転手が、どの時点でセンターラインを越えた車を発見できたか認定できず、過失があったと認められない」とした一方、「仮に早い段階で相手の車の動向を発見していれば、クラクションを鳴らすなどでき、前方不注視の過失がなかったはいえない」…となっております。注目したいのが「過失がなかったとは言えない」という文言、一般的な裁判の場合は疑わしきは罰せずであり、過失の証明を示す義務は訴えた側に課せられます。ですが、今回の判決は訴えられた側が「過失は全くなかった」という証明をしなければならなかったわけです。はっきりいってこれを証明するのは至難の業です。

 なぜ、このようなことになってるのかというと、「自動車損害賠償保障法」というものがあり、自動車は運転を誤れば危険な乗り物なので、運転手に重い責任を課しているのです。そのために普通であれば原告側に責任がある過失の有無の証明を運転手側に課しています。 まぁ、普通はクラクション鳴らすなんてまだ避けたり止まったりできる距離の段階の話であって、避けられないぐらいのタイミングで目の前に車が飛び出して来たらクラクションなんてならせるわけないんで、この判決の文言も??な感じもします。

 これはまだ地裁の判決なので、高裁や最高裁までいって判決が変わる可能性もまだありますが、「なんだこの理不尽な判決!」と言っても現実として出てしまった判決でありますから、私も注意しなければと思います。そもそもなぜ、このような訴えがなされたのかというならば、居眠り運転側の車の任意保険が家族限定になっており、運転手が保険対象外の大学生であったということです。この大学生にも6700万円の賠償命令が下されていますが、当然のことながら保険金は支払われません。自腹で賠償していくのはなかなか期待できないでしょう。因果関係がどう影響しているかを断定はできませんが、そのような背景があってのあの裁判と判決であるということです。

 亡くなった方のことをあまり悪く言うのは良くないのですが、私個人に言わせれば今回の裁判の一番の原因は保険対象外であるにも関わらず、運転させてしまった助手席に乗っていた車の所有者です。これは一番やっていはいけないことです。無保険の状態で運転させてしまうのは絶対にダメです。ちなみに私の車の任意保険はそういうことが万が一にでもあるといけないので家族限定は付けていません。多少割高になりますが、別にびっくりするぐらい割高なわけではありません。「私はどんな状況になっても絶対に家族以外に運転させない!」という自信のある方以外は家族限定は外しておいた方がいいです。いや、外さなければなりません。

 …というわけで、少し意地悪な言い方をするならば今回の裁判を起こす原因を作ったのは原告側自身であると言っても差し支えないでしょう。ですからどちらにとってもこれは悲しい裁判であるなぁと感じます。


 長くなりましたが、最後に、人はその罪の責任を自分ではなく別の誰かにしてしまおうとする性質があります。大なり小なり誰しもそのような弱さがあります。今回の動機はそういったものではなく単純にお金の話なのかもしれませんが、「原因は自分ではない」と誰しも思いたいのです。ですが、そこに留まっていてはキリストの十字架にたどり着くことはできません。自らの過ちを認めることは苦しいことです。ですが、その先にこそ赦しの恵みがあるのではないでしょうか。




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法律とマナー

 今度の日曜日は、新潟は市議・県議選挙の投票日です。私はすでに期日前投票を済ませましたが、まだあと二日ありますので、教会のある団地内も毎日何台も拡声器で訴えかける車が通ります。それは教会の礼拝や集会の時間と重なることもあるのですが、それはそれでルールで定められていることなので仕方がありませんし、必要なことでもあるのでしょう。でも、私はルールだけではなくマナーも守ってもらいたいと思っております。ルールは法律で対応できますが、マナーは「別に違法行為じゃないじゃん!」と言われればそれ以上の対処は難しいです。

 多くの候補者の方が良識をもっておられ、あくまでも一部の方々であるという前提でお話ししますが、今日も連日同様拡声器からの声が鳴りひびいておりました。多くの場合は通り過ぎていくだけなのですが、そのうちのとある候補者の方の声が離れていくことなく、その場で留まり演説が始まりました。「まさか教会の前で?」という不安から(教会という立場上、教会が特定の政党や候補者を推しているという誤解を受けるのは好ましくないため)外の様子を見ると隣の空き地(厳密には畑)の前で演説をされております。

 それだけなら別によかったのですが、支援者の方が二人ほど堂々と教会の敷地の出入口を塞ぐようにしてのぼり旗を持って立っておられます。さすがにそれはマズいです。今日は祈祷会もあります。祈祷会がなくてもいつだれが来られるかわからないのでそれはNGです。そもそも、一般家庭でも入り口に立つのはたとえ公道でもマナー違反です。

 さすがに容認するわけには行かないので、その方々に「すみません、そこ出入口なんで…」と声をかけると、きょとん…とした顔でこちらを見るだけで分かってもらえず、「車の出入りがあるのでそこから向こうに移動してもらえますか」と手振りを交えて言ってやっと移動していただけました。その後も教会の入り口の脇数十センチぐらいのギリギリのところに立っておられ、やがて演説を終え去って行かれました。

 そして演説の最中になにやら近隣の住民の声が聞こえてきました。はっきりは分からないかったのですが、おそらく「ウルサイ!」と言ったのだと思います。それもそのはず、今日は他の候補者の車も何台か通たのですが、この候補者の拡声器の音量は他の車に比べて一際大きな音量でした。私の感覚では違法になるかならないかのギリギリの線ぐらいの爆音だと感じました。しかしその住民の声に対して「ご声援ありがとうございます!」と応えていましたので、その住民の方はさぞかし嫌な気持になったのではと思います。

 おそらく批判も励ましであるとの姿勢で、そのような返答をしているのだと思いますが、私はそんな姿勢よりも良識やマナーの方が大切なのではないかと思います。数年前の選挙でも私は似たような経験をしました。私が車を運転していると候補者がちゃんと広い歩道もある道なのに車道に止まっている車のさらに車道の内側で演説をしておられ、あまりにも危なそうだったので、「車道は危ないからやめてください」と言うと、先ほどの方と同様に「ご声援ありがとうございます!」という返しがきました。

 何か文句ばっかりになってしまいましたが、要は法的ルールを守っていれば良いというわけではないということです(先ほどの大音量と車道の内側での演説はもしかしたら法に触れるのかもしれませんが)。良識やマナーをもってことにあたることも大切なことです。そしてそれは教会にも全く同じことが言えます。私も気を付けたいと思います。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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