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信仰生活の中のゆとり

 先週は夏期休暇をいただき、新潟→長野→群馬→埼玉→東京と何日かかけて南下していく旅をしました。金曜は私と妻がそれぞれの実家に子どもが一人づつ分かれて泊まり、日曜を挟んだので、土曜に群馬で宿泊して高崎市の教会で礼拝に出席させていただき、その日は埼玉の友人の家に宿泊させていただき、月曜は東京で結婚式と、ずいぶん慌ただしい中でも充実した休暇を過ごさせていただきました。

 長野から群馬に向かって行く途中の高速の途中で佐久平PAで休憩をしました。ここは冬になるとPAからスキー場のゲレンデに直結しているという面白い場所です。


sakudairaPA1.jpg
 PAから長いエスカレーターを登るとスキー場方面に行くことができます。写真は下りですが、この倍以上ある長いエスカレーターを登っていきます。高所恐怖所の人は後ろを振り返らない方がいいでしょう(笑)。


sakudairaPA2.jpg
 エスカレーターを登ると佐久平の景色を一望できます。もう18年ぐらい前になりますが、この東信地方に住んでいたことがあって、クルマ好き仲間と佐久平を眺めながら「こんだけ広ければサーキット作ればいいのに!」なんて話をよくしていました。今は、田んぼつぶしてまで作ってほしいとは思いませんけどね。

 長野県はサーキットが殆どありません。本格的に走ろうとするなら新潟の間瀬辺りまでこないとありません。実際、当時の友人はたまに間瀬まで出かけていました。それが今では家から間瀬サーキットまでは30分ぐらいで着いてしまうような距離です。当時の私だったら最高の場所なんでしょうけど、四駆のATのステーションワゴンに乗っているオジサンには、もはや無用の長物です。でも公道で危険走行するぐらいだったらちゃんとサーキットにいって健全にモータースポーツを楽しめばいいのだと思いますし(若い頃のことを棚に上げてすみません)、そうできるような環境作りも日本はして欲しいと思います。


 そういえば以前、バイクにサイドバッグを取りつけるためにマフラーの位置を下げたのですが、どうもそれがうまくありません。

 M90011.jpg
 これですね。ほんの2センチぐらい下げただけです。平気かと思ってみたら、走行中に不快な振動が発生するようになりました。しかもエンジンが暖まってからですので、排気熱の変化の微妙な具合が振動を引き起こしているようです。

 原因は、おそらく少し無理やり下げたことによってマフラーが固定され過ぎたのだと思います。下げる前はある程度ブラブラ揺れていたマフラーが、カチッと止まっていたのです。普通はその方がいいのではと思うかもしれませんが、マフラーには振動を逃がすためのある程度の遊びが必要です。その遊びが振動を緩和するのです。その為クルマのマフラーは、ゴムのステーで車体とつなげてあります。

 私もマフラーを下げた時、カチッとは止まっていたけど少しは遊びがあるから大丈夫だと思っていましたけど、純正の設計ってすごいですね。その少しの遊びの減少で不快な振動が発生してしまうぐらいのベストバランスで固定してあったのでしょう。じつは私のバイクのマフラーのステーはステップがカスタムされている関係で純正ではないのですが、上記の写真を見てもらえばわかるのですが、ステーの丸い穴を削って純正とまったく同じ角度と遊びになるように調整した苦労が見て伺えます。

 …ということでステーを元に戻して見るとやっぱり不快な振動はピタリとやみました。こうなるとサイドバッグとのクリアランスが心配ですが、荷物を満載にしてバッグを膨らませれば、クリアランスが広がって何とかなると楽観視しております。


 信仰生活にもゆとりや遊びは必要です。それは決していい加減に生きろとか、みことばを受け入れない時があってもたまにいいとかいうことではありません。罪につながらないようなことであれば趣味や遊びなどもある程度はないと疲れますよという趣旨です。

 以前、ある方がゴルフを伝道に用いられないだろうかというお話をしていたら別の方が「それは世の娯楽だ」と言わんばかりに露骨に嫌な反応を示されたことがありました。私はゴルフはしませんが、ゴルフは聖書的に罪ですか?違いますよね。クルマをカスタムするだけで「それはクリスチャンとしてどうなんだろう?」という方もいますが、違法改造や暴走行為をするわけでなければ別に構わないじゃないですか(バイクもね)。ちょっと贅沢をした話をするとすぐに「クリスチャンたるもの質素に生きなければ!」なんて反応をされる方もいますが、献金をないがしろにしているなら別ですが、与えられた範囲で楽しむことは罪ですか?神が悲しまれる行為ですか?違いますよね。

 みことばが求めていることを積極的に行なっていくだけであるといつか疲弊します。神は私たちに選択の自由を与えておられます。みことばがノーと言っていないのであれば、自分の好きなことをある程度行なっていくようなゆとりや遊びをもつことも信仰生活には大事であると私は思います。


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「これで大丈夫!」のさらに一歩先を

 私はプライベートで泊まりのツーリングに行くことは殆どありませんが(というよりも行く機会が無い)、仕事の関係で年に数回程度ですがバイクで行って2、3泊することがあります。普段、ツーリングに行けないので、こういう機会に遠出をします。

 宿泊するとなるとバイクで一番の問題は荷物です。いつもは適当なバッグをリアシートにくくりつけて行きますが、荷物が落ちることはないのですが、やはり安定性の面では心配はあります。特にモンスターのリアシートは小さいですから…その為、結構頑丈に縛るので面倒であるということと、重量物がシートの上の高い位置にあるということで、走行安定性という意味で気を遣います。そこで左右振り分けのサイドバッグを購入することにしました。

 普通に名の知れたメーカーのものは最低1万円は出さないと買えませんが、通販で外国製のものであれば、3000円以下でもあります。取り付けてみないと分からないということと耐久性がわからないというデメリットはありますが、試してみることにしました。

 荷物が届いて、まずは使えそうかどうか取り付けてみます。


M90010.jpg
 取り付けは問題なさそうです。ただマフラーとの隙間がもう少しあれば安心かな。

 ということで…


M90011.jpg
 マフラーの位置を下げちゃいます。サイレンサーをとめているステーをホームセンターで適当に買ってきた長めのステーと交換します。これで数センチだけですが、マフラーの位置が下がります。なんとM900はこのボルト一本だけでサイレンサーが外れます。スリップオンマフラーの交換は左右合わせてもきっと10分かかりません。


M90012.jpg
 少しだけ隙間が広がったのでおわかりでしょうか。マフラーを下げなくても、このモンスターの純正マフラーの場合は、手で数秒なら触れる程度ぐらいにしか熱くなりませんから、大丈夫といえば大丈夫なんですが、万が一のこともありますし、大丈夫と思うさらにもう一歩先のところまで考えていく方が安心です。


M90013.jpg
 シート上はこんな感じになりました。モンスターはリアシートの部分が小さいのでバックルがどうしても前の方まで来てしまいますが、跨ってみたら…問題ありませんでした。私、短足なので、自動的にシートの最前部に座るようになるのでバックルは気になりませんでした(笑)。


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 後ろから見るとこんな感じです。フラッシュ撮影なのでリフレクターが光っちゃてます。バッグにもちゃんとリフレクターが付いていていいですね。あとは耐久性は実際に遠出してみないと分かりませんが、まぁ、有名メーカー品の数分の一ぐらいのお値段ですからこれで十分満足です。


 自分で自分の弱さというものはある程度は分かっていると思います。だから、「ここから先は誘惑に負けてしまう!」というラインが人それぞれあると思います。でも、本当にそれでいいのでしょうか。「ここから先はダメだ」という予防線は「ここまでなら大丈夫!」ということにもなります。だから結構ギリギリの線までいってしまうのが私たち人間です。

 しかし、ギリギリのラインだと万が一、たった一歩でも踏み出したら即、誘惑に陥ってしまうということなのです。だから、「ここから先は…」というさらに一歩手前で踏みとどまることが大切なのではないでしょうか。お酒で罪を犯してしまう人は、お酒を控えるのではなく、飲まないようにする。また、異性に弱い人は、異性に手を触れないだけではなく、二人きりでいる時間を避ける等です。人それぞれ違いますから、今あげたのはあくまでも例ですが、大丈夫と思ってもさらにもうひと工夫が必要であるぐらい私たち人間は罪に対しては無力であることを覚えたいのです。





境目ははっきりと…

 以前、バイクを倒してしまった際、バッテリー液が少し漏れたらしく、フレームの塗装が剥げてしまったのですが、たいしたことないかなと思っていたのですが、よく見ると結構ボロボロに塗装が剥げています。恐るべしバッテリー液!見た目もアレなんですけど、何よりも錆びてしまうのが嫌なので、タッチペンで補修することにしました。

 当然のことながら「95年式モンスター900フレーム色」なんて色のタッチペンはありません。ぱっと見はシャンパンゴールドなんですが、ゴールドといっても何種類もありますから近い色を探すことにします。ケータイで撮ってお店で見比べながら近い色を探すのですが、これがまた厄介で、ケータイだと撮る角度で結構色が違って見えるので、どの色にしようか迷いましたね。結局、トヨタ系のシャンパンゴールドを試すことにしました。


 そして塗ってみると…

M9008.jpg
 結構違いました…やっぱり難しいですね。やけに塗った部分だけ金色に輝いています。一番の目的は錆びの防止なので、これでもいいと言えばいいのですが、なんか方法はないかなぁと考えていると…ん?黒いバンドの境目まで塗れば目立たなくなるかも…と思い(この時代のモンスターは配線等を黒のバンドでフレームに束ねてあるので、いくつも黒バンドが付いています)、一番上の部分も黒テープ何かで境目を作っちゃえばどうだろうと、じつにいきあたりばったりな方法を試みることにしました。


M9009.jpg
 おおっ、意外に目立たないです。無論、近づけばタッチペンで塗ったのが明らかに分かりますし、塗装の剥げた跡でボコボコしている部分もありますが、遠めだとまぁOKかな。レガシィの時も、そんなんで妥協していたような(笑)…

 それにしても、同じ場所で写真撮ってるのに、やっぱり時間帯とか角度による光の加減でずいぶん色合いが違います。写真って難しいですね。


 境目に何かを置くことによって二つの違いが分からなくなる…塗装はそれでいいのかもしれませんが、聖書の価値基準はそうであってはいけません。いわゆるグレーゾーンってどうしても存在するのですが、あくまでもそれは聖書的に考えても難しい問題の場合であって、基本は白か黒かはっきりしなければなりません。

 3.11以降、臨床宗教師という分野がクローズアップされ、必要が求められています。宗教を超えて、亡くなった方を送り出し、遺族をケアするというものです。私は、この働き自体は良いことであると思います。何故なら、宗教の存在意義が問われるからです。多くの日本人にとって宗教とは文化であり、心の支えの”一部”に過ぎず「宗教は深入りしないほうがいい!」というものでしたが、このような働きを通して宗教本来の役割を果たすことができると期待しています。

 一方で、慎重になっていかなければならない課題もあります。他宗教と共に働きをなしていくときに、宗教の境目をどのように捉えるかです。もし間にグレーゾーンを設けて互いの違いを緩和するような動きになるのであれば、キリスト教は手を引くべきです。遺族への慰めや希望を語ることはできても死生観を語る時に聖書の真理を曲げてまで他宗教との垣根をなくすべきではないと私は思っています。下手にグレーゾーンを設けず、キリスト教の立場がはっきりわかるような形で協力していけばいいのだと思います。クリスチャンでない人に対して「この方の魂は神に委ねられました」と言うことはできても「この方の魂は天国に行きました」とは決して言うことはできないということです。

 時代や国の文化に合わせてある程度の歩み寄りが必要な部分はあると思います。ですが、あくまでもそれは聖書的にはっきりと決められない時だけです。救いの問題や性の問題等、決してグレーゾーンを作って聖書の価値観とこの世の価値観の違いを緩和などしてはならないことは多々あります。中世は時代の流れの中でこの世との境目が分からなくなるような時代もありました。ですがルターをはじめとした宗教改革者たちが原点に引き戻しました。そのようにして真理は曲げることなく守られてきたのです。であるならば私たちも変わりゆく時代にあっても、後の世代に真理を曲げることなく伝えていくものでありたいです。



自分への適用

 先日、買い物をして駐車場に戻るとFバンパーの左側に20cm四方ぐらいの大きな傷があるのを発見!なんじゃこりゃ!…と慌てて傷の場所をよく見ると深い線のような傷が何本も入っています。この状態からするとどうやら車のあて逃げではなく、何かコンクリートのようなざらざらしたような場所に擦ってしまったような傷です。

 …となると、私か妻のどちらかがどっかで擦ったんだろうということですが、二人とも身に覚えがありません。でも、コンクリートのような物体が駐車しているウチの車に擦るってことはちょっと考えにくいですから、きっと気づかない間に私か妻のどちらかがやってしまったということなのだと思います。

 バンパーなので、そのままでも錆びる心配はないのですが、結構広範囲で見た目が悪いので、何とかしようと試みました。板金屋さんは却下です。最低数万円はかかります。DIYですね。傷の線が下地までいって黒い部分まで露出しているので(それも何本も)、タッチペンというわけにはいかなそうです。パテ埋めして缶スプレーかな…


BP5001.jpg
 まずはパテ埋めです。見ての通り結構広範囲に傷がつきました。パテ盛る前の写真撮り忘れたので分かりにくいかもしれません…


BP5002.jpg
 次にヤスリがけしてパテをならして表面を平らにします。そしたら缶スプレーで塗装なんですが、じつが問題が一つありまして、このレガシィの「アークティックホワイトパール」というカラーはオプションカラ―の特別色らしくこのBP型のレガシィにしか設定されていない色のようで、なかな缶スプレーが売っていません。ネットで調べてもタッチペンはあってもスプレーはありません。そこで他社のホワイトパール系で近い色で試してみることにしました。ボディなら怖いですが、バンパーならいっかなと思って…ネットで調べると日産の「ホワイトパール3P」という色が近いということが分かり、これなら普通に売ってますので試してみました。


BP5003.jpg
 おお、意外に目立たないです(遠めだと…)。ただ、表面に段差ができてしまいました。結構念入りにヤスリがけしたつもりだったのですが、まだまだ平らではなかったようです。今度またいつか時間のある時に念入りにやってみようと思います。殆ど補修個所を分からなくしてしまう板金・塗装屋さんの技術はやっぱりすごいなぁと思わされました。


 さて、擦った犯人が私か妻かということですが、どちらか分からないんですから犯人探しは意味がありません。もっと大切なことはたとえ自分ではなかったとしても、このような傷がつかないように狭いところでは自分自身が注意するということだと思います。

 牧師をしていると、いろんな場所で日常生活の証しを聞く機会があります。「証し」とは、自分を通して神がどのように働いたかを話すことです。でも、時折、自分自身ではなく他人のことを話し始める人が結構います。「○○のようなことをやっている人がいて、それはみことばに照らし合わせてよくないと思いました」とか「以前、○○のような人がいて確かにこのみことば通りに注意しなければならないと思いました」とかです。私はこういう証しを聞くと??と思ってしまいます。

 みことばの説教や普段の会話で、こういう言葉が出てくるのはあると思いますが、証しは「自分」を通して神を示さなくてはならないのです。「他人のふりみて我がふり直せ」という言葉のごとくに自分自身への戒めとできればいいのですが、なかなかできないのが人の弱さです。「あの人が悪い!この人が悪い!」と他人の罪の分析をしたところで、自らの罪を受け止め、自分にみことばを適用しなければ何の意味もないのです。牧師は聴衆にみことばを適用させるように導く立場ですから、このことは特に注意が必要なのだと思います。


プロフィール

☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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