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イメージと事実

 間もなくゴールデンウィークに入ります。世間では、ガソリン代高騰に伴い、ガソリンが節約できる近場のスポットが人気となるのではとの予想です。

 確かにガソリン代は高いですね。レギュラーガソリンがちょっと前のハイオク並み(あるいはそれ以上)です。日常の足として車を使っている方々は年間を通すと以前と比べて結構な差額になるでしょう。

 しかし、冷静に考えてみましょう。仮にガソリンが高騰する前との1ℓあたりのガソリン価格の差を15円ぐらいとします(1ℓあたり100円を切っていたような時代と比べると身も蓋もないのでやめましょう)。そんでもって行楽に出かける距離を仮に1000kmとします(多く見積もっています)。さらに燃費を休日の渋滞等も考慮して10km/ℓとします(これも悪く見積もってます)。そうするとガソリンを100ℓ使う計算になります。ということは、ガソリン価格高騰前との差額は「たった1500円」ということになります。これは悪く見積もっているので実際は差額はさらに少ない可能性があります。

 これが毎月ならともかく、多い人でも年間数回の長距離家族旅行で1500円を惜しむというのはどうなのかと私は思います。家族4人なら旅先の食事代1回にも満たない金額です。年間数回の+1500円ぐらいの贅沢(あるいはそれ以上)なんて誰でもやっていると思いますし、私だってそうです。しかし、たったそれだけのガソリン代だけの差額を惜しんで地方の行楽地で商売をしている方々がダメージを受けるのは大変ですし、また日本の景気とっても良くないと思います。

 それを承知の上で節約をする人はそれはそれでいいと思うのですが、中には(私の予想ではかなりの割合の人)ガソリン高騰が過大にイメージされて、旅行する上での全体の費用としては大した差額ではないということに気づいていない人がいるのではないかと思います。報道でのイメージや1ℓあたりの価格差という限られた視野でしか見ないと時に事実を見誤ります。

 聖書は66巻全てが誤りなき神のことばです。イメージで「そんな奇跡は信じられない」とか「多数派が言っていることが正しい」という視点で読むと真実が見えません。また文脈を無視して一か所だけを抜き取って強調することも真実を見誤る危険性があります。カルトがその典型でしょう。離れたところで森だけを見るのではなく、その中の一本の木だけを見るのでもなく、森を見つつ、一本一本の木を大切にしていくべきだと思います。
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共に礼拝をささげる恵み

 春です。新潟もようやく暖かくなってきました。冬が長い雪国にとって春はとても嬉しいものです。特に私のようなバイク好きからすると、ようやくバイクが乗れる季節がやってきたといった心境です。

 雪が殆ど降らない地域は、人によってバイクに乗り出す時期が違います。真冬でもガンガン乗っている人もいれば、暖かくなるまで待つ人もいます。しかし、雪国はどんなに寒さに強い人でもバイクは雪には勝てませんから、暑がりも寒がりも一緒になって春を待ちます。その為、このぐらいの季節になると雪が降らない地域以上に急にバイクが増えます。昨日も、いきつけのバイク屋さんに行ってきましたが、考えることはみんな一緒で、多くの人たちがバイクで来ていました(私はたまたま車でしたが)。

 私は「スーパースポーツ」と呼ばれるカテゴリーのバイクに乗ってますが、好きな人は好きなのですが、運転する時の前傾姿勢が強くシート高が高いので、本当に好きでないと乗れないので割合的には少数派です。その為、たとえバイクシーズンのピークでもそんなに見かけるものではありません。しかし、昨日のバイク専用の駐輪場を見るとス―パースポーツ系がズラリです。「へぇ、新潟でも結構乗っている人いるんだ」と、ちょっと嬉しくなりました。しかし、あくまでも全体からすると少数派ですから、暖かくなり始めのバイク屋さんだからこそ見られた光景だと思います。

 日本のクリスチャン人口は1%に満たないです。その中でもいつも主日礼拝をささげている人は、さらにその4分の1ぐらいではないかとも言われています。つまり0.25%です!割合からいくと400人に一人という割合です。その為、教会関係以外で知り合いになってその人もたまたまクリスチャンだったというケースは本当に珍しいことであると言えます。

 しかし、教会に集うことによって多くのクリスチャンと共に礼拝をささげることができます。いきなり街中に行ってクリスチャンを何人も探して交わりを持とうと思っても不可能に近いでしょう。しかし、教会に集えばそれができます。この日本にあって一般社会の中ではクリスチャン人口の少なさ故に、いつも信仰的な戦いがあると思います。しかし、主日に共に教会に集い、信仰の戦いの戦友と共に礼拝をささげるということは大きな励ましになると私は思います。

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」エペソ人への手紙2章19節

 確かに礼拝は一人でもささげられますし、信仰は神と人との一対一の関係です。しかし、私たちは一人だけで信仰を守り抜いていくことが出来るほど強くはありません。神の家族と共に礼拝をささげる恵みを大切にしたいと思います。

罪と赦し

 以前、私はFacebookのモラルに関しての危険性を記しましたが、どうやら予感は的中している感じです。

 色々とあるのですが、一番目に余ると感じたのは、性的罪を犯した人々を「本能で生きる動物と一緒だ!」とか「社会的に抹殺するべきだ!」とか、「やつらに人権はない!」等と言っている人がいることです。驚くことなかれ、この方はクリスチャンです(それ以上ハッキリしちゃうと、公での個人攻撃になってしまいますし、言論の自由の侵害だとか訴えられそうなので、このぐらいでご勘弁を)。この事実につまずかないように最後まで読んでくださいね。反論の書き込みをすればいいのかもしれませんが、場を荒らすまいと無視をしている他の方々に迷惑がかかりますから、やはり私もそのような記事は無視します。というよりもあまり使いこなせていないので書き込みは殆どしないのですが…

 確かに性的罪は、誘惑が大きく、神から引き離そうとする力が大きく働く為に、本当に避けるべきことであると思いますし、罪を犯した本人が神の御前に罪を罪として認識することは大切なことです。しかし、犯した罪の大きさ故に、責任やけじめをつけなければならない場合はありますが、その罪を認め、悔い改めるなら、神は赦して下さいます。それはどのような罪であれ同様です。

 日本の言葉で「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、私はこの言葉はじつに聖書的であると思っています。罪は罪です。神の御前に割引なんてされてはならないことです。しかし、そのような罪人であっても神は私たちを愛しておられます。「社会的に抹殺するべきだ!」とか「やつらに人権はない!」とかいう言葉は、神の赦しの原理を無視したものであり、もっというならば神を冒涜した言葉であると私は思っています。

 私は聖書の罪の基準を下げるなんてことがあってはならないと思います。そして、その犯した罪のために社会的責任を負わなければならない場合があるならばしっかりとその責任を果たすべきことだと思います。しかし、神の御前では、そのような人々であれ、誰であれ、同じ一人の赦されるべき罪人であるということを忘れてはならないと思います。明日はイースターです。人間が勝手に「赦してはならん罪」なんてものを決めてしまったら、キリストはいったい何のために十字架にかかり、復活されたのだろうということになってしまいます。イースターの意味とその恵みを覚えつつ明日を迎えたいと思います。

 それにしても、安易に過激発言されるとFacebookを有効活用している人からすると大変迷惑な話です。Facebookは、たとえ登録した人しか見れなくても、そこからどのようにシェアされたりするか分かりません。私もそんな酷い記事はいちいち読みたくないのですが、トップページにすると無作為に他の方々の書き込みが表示されますからね(笑)。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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