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表面と内面

 一月の下旬から大寒波の影響で新潟市でも積雪が続いています。今回はいつもと違って新潟市の西側の方が雪が多いようで、私の家でも50、60センチほど積もりました。まぁ、それでも新潟県の中ではかなり雪が少ない方です。

 さすがに除雪車が来ましたが、それはそれで感謝なんですが…微妙です。新潟市はあまり降らないので慣れてないということもあって、そんなに責めることはできないのかもしれませんが、それにしたって…ビミョーです。

 まず、安全マージンを取りすぎです。端まで除雪しているとことでも側溝から50センチぐらい、場所によっては路肩から1メートルぐらいのスペースが空いているところもあります。それを両方の路肩でやられると車がすれ違うことが出来ないぐらいの幅になってしまいます。さらに除雪前なら雪の上に乗っかればすれ違いが出来るものが、除雪したことによって雪の高さが増して、それも出来なくなってしまいます。今回は車がすれ違うたびに徐々に道路の幅が広がっているような感じですが、二年前に80センチ降った時は本当に困りました。これは仕方がないのかなと思ったのですが、近くの国道はちゃんとギリギリ除雪しているので、もっと何とかならないかという思いがあります。

 あともう一つが地面からだいぶ上を除雪しているということです。私は専門家なので分かりませんが、もっとなんとかならないかと思ってしまいます。その結果、私の家の団地の道路は二回も除雪車が来たにも関わらず、未だにぁ雪でボコボコガタガタの路面です。二回目の除雪にいたっては、圧雪の路面は全くそのままで、後から降った15~20センチぐらいの表面の新雪を退けただけでした。近日の積雪は最初の一回目ドカ雪とは違って10センチづつ積もるぐらいで、新潟市程度の気温であれば日中に降らなければ結構雪が溶けてしまうのですが、最初の分厚い圧雪がそのままなのでなかなか溶けません。

 これらの問題は、もしかしたら最大限やっての結果かもしれないので、あくまでも私の願望としての意見ですが、せっかく除雪したのに表面の柔らかい雪だけがなくなって、あとは前の夜のままというのはちょっともったいない気がします。

 私たち人間は罪を犯します。それはクリスチャンであってもそうでなくても変わらない現実です。「おまえ、クリスチャンのクセに!」というご批判を受けてこられたクリスチャンの方も多いでしょう。しかし、それは勘違いの批判であって、クリスチャンになったらいきなり素晴らしい人格になって素晴らしい行いができるなんて公式は聖書のどこにもありません。これは信仰生活の生涯をかけて徐々に成長していくものです。もちろん、あまりにも道徳的に外れて罪に捕われているような歩みは別です。そういう場合は「クリスチャンなのに…」というよりも、厳しい言い方ですが、そもそも本当の意味での救いを受けていないとも考えられます。

 では、クリスチャンになっても罪を犯してしまうというのなら、クリスチャンになって一体何が変わるのでしょうか?それは表面上の事ではなく、内面です。内面が生まれたままの古い性質であるならば、たとえ、表面上の汚れを払っても、汚れは残ったままとなります。内面を聖める必要があるのです。ちょうど、圧雪の上の新雪を退けただけでは、なかなか雪が溶けないのと同様です。

しかし、クリスチャンは既にキリストの十字架によって罪赦されている存在です。確かに罪を犯しますが、その内側はもう聖められています。その為、外に出て足だけにほこりがついてしまったのならば、足のほこりだけ洗い流せばいいのです。一度、地面が見えるぐらいまで除雪をすれば、その後にふるわずかな雪はすぐに退けることができるのと同様です。これは日々の信仰生活における悔改めであるといえます。

 『イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」』(ヨハネの福音書3章10節)

 だからといって「表面さえはらっていればいいのだ!」といって罪を犯していいということではありません。一歩でも二歩でも神に喜ばれる歩みが出来るように整えられいくべきではないでしょうか。
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「感覚」だけではなく「理論」も

 新潟は、ここ二日ぐらい雪が続いています。まともに積もらなかった新潟市も今日は積もりそうな勢いです。我が家の車は四駆なので、雪の日はありがたいです。まぁ、ブレーキ性能は当然ながら二駆と変わらないですが…

 東京はめずらしい積雪で大変だったようです。当然、多くの人がノーマルタイヤですから事故多発です。テレビで東京のあるレポーターが「みなさんスタッドレスタイヤはもちろん履いていると思いますが、雪道の運転には注意が必要です」などと言ってました。そんなバカな!!殆どの人がノーマルタイヤでしょ。私も東京に住んでいたことがありますが、スタッドレスなんて履き替えてなかったです。一度、雪が積もりましたが、そういう時は素直に車は諦めて公共交通機関を利用した方が早いです。

 車の運転は、殆どの人が感覚や習慣で行っていると思いますが、安全に運転する為には、運転や車そのものに対しての知識があると有効です。日本の自動車学校のカリキュラムでは、この部分の扱いが少ししかありません。本当はもっと理論的に構造的に車や運転というものを知った方がいいのです。

 特に雪道の運転は雪道や車の特性に対しての正確な知識が必要です。まず「4WD最強」という都市伝説は捨てましょう。4WDが強いのは発進の時や動いている時だけです。四駆だと止まりやすいと勘違いしている人が結構いますが、ブレーキに関しては二駆と全く一緒です。細かく言えば四駆のシステムで重くなった車両重量の分、制動距離がわずかながら伸びる可能性もあります。我が家の車も同じ車種の二駆と比べたら実に80kgもの差があります。

 ABSも制動距離が短くなるシステムではありません。タイヤロックを防いで、パニックブレーキ時でもハンドル操作が出来るようにするシステムです。結果として制動距離が短くなることが多いと思いますが、雪道なんかはタイヤロックさせたよりも制動距離は延びるでしょう。

 FF(前輪駆動)は、登り坂の凍結や圧雪路面はなるべく止まらないようにしましょう。止まると再発進が困難になります。FR(後輪駆動)は、登り坂の凍結や圧雪路面では絶対に止まってはいけません。LSDでも装備していない限り絶対に発進できなくなります。私は雪国でFRに乗ってましたが(そもそもそれがよくない)、凍結路面の登り坂で前方に渋滞や赤信号を見つけたら、後ろに渋滞を作ってでもノロノロ運転にして止まらなくてもいいようにしてました。

 このような特性を知っておけば、豪雪地帯でもない限り意外にFFでも大丈夫です。FRはおすすめしません。4WDは下手に過信すると雪道でもスピードが簡単に出てしまうので逆に危険です。ですから、特性を良く理解したうえで乗るべきです。坂道発進の心配は要りませんが、走行する上では二駆と同じように運転すると安全です。

 このように車の運転とは、感覚や習慣的な部分は多々ありますが、ある部分は理論が必要です。教習所でマニュアル車の操作がなかなかうまくいかない人はクラッチの構造や役割等を知ると意外にうまくいったりします。車の運転が得意な人や好きな人に理屈っぽい男性が多いのはその為でしょう。

 聖書が示す救いとは感情的な部分が主なようで、じつは理論的な部分が主です。「救われている気がするから」救われているのではなく「聖書にそう書いてあるから」救われているのです。喜び等の感情は「神・罪・救い」という聖書の理論を捉えてこそ、後から与えられるものです。

 信仰的領域は目に見えないものですから、どうしても感情的・感覚的にとらえやすいです。それ故に何か奇跡的な現象や出来事を求めてしまいがちです。しかし、それでは、その時は「素晴らしい!」と思うことができるかもしれませんが、自分の気持ち次第で救いが揺らいでしまいます。しかし理論的に救いを捉える時、たとえ劇的な感情の変化がなかったとしても、感情に訴えかけるような奇跡的な現象や出来事がなかったとしても、そこには確信が与えられるのではないでしょうか。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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