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一歩づつ

 クリスマスが過ぎ去っていきました。今年はクリスマス礼拝が、今年最後の礼拝となるので、どの教会も慌ただしい感じだったかもしれません。

 当教会もクリスマス祝会後にクリスマスの飾りを片づけました。例年だと、クリスマス祝会の次の日曜日に片づけるのですが、今年は次の週まで待ったら新年になってしまうので、さて、どうしよう…と悩みました。

 最初は、時間も遅いので全ての片づけは行わず町内に掲示してあるポスターだけ取ってしまおうという話になり、ポスターだけ外すと、礼拝堂にクリスマス用の幕が張ってあったのですが、それは外してしまおうということになりました。そうすると今度はモール等の飾り付けも、そんなに片付けが面倒じゃないだろうからと外し始めていると、いつのまにか総出でクリスマスの片づけが始まって、結局、当日に片づけが終わってしまいました。イルミネーションだけはまだありますが、どうせ電力がソーラーなのでもうちょっといいかなと思ってます。最近は街中のイルミネーションも1月いっぱいぐらいまでありますからね。

 あと一歩…いけたらさらにもう一歩…そしたらいつの間にか終わっていたということはないでしょうか。私たちの信仰生活はこのようなものです。信仰は誰しも一足飛びに魔法のように成長する術はありません。故に、道のりは見ずに遥か遠いゴールだけ見て落胆してしまったりします。しかし、遥か遠いと思っていたゴールを自分の足で一歩…もう一歩…と踏みしめていると、いつしか後ろを振り返るとスタートが遥か遠くになっていることでしょう。

 私たちクリスチャンの完全なゴールは御国に着くその時です。それまでは誰しも地上の生涯においては決して辿り着くことのないゴールを目指さなければなりません。そんな中で完全を目指したり、人と比べては誰であれ落胆してしまいますし、逆に必要の無い優越感に浸ってしまうかもしれません。しかし、完全なゴールがこの地上に無いのにゴールを目指すことは決して無駄ではありません。何故ならば、一歩、二歩と前進するならば確実にスタートラインより先に進んでいるからです。それが信仰生活であり成長です。

「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」(ピリピ人への手紙3章16節)

 ただし、罪の道も「たった一歩だけなら…もう一歩だけなら…」と言っているうちに戻れなくなってしまうので、時代が違うからと言って、みことばのボーダーラインを下げるようなことは決してしてはなりません。
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個人と集団

 ダイハツが某ハリウッドスターをCMに起用して低燃費車の宣伝をしています。しかし、この度スズキも同等の低燃費を誇る車を発表しました。どちらもハイブリッド車ではありませんから、凄いといえば凄いのですが、その分、出力は多少犠牲にしているでしょう。まぁ「パワーよりも燃費」という世の中のニーズには合っていると思います。

 あちらが出せばこちらも負けじと…というメーカー同士の戦いは、どの業界でも常です。でも、メーカー同士が技術競争をやめたら、そこで技術発展はストップするでしょうから、これは必要な競争であると思います。大手メーカーが「開発にコストをかけるのはやめよう!」なんてことになったらおしまいです。

 でも、これって将来は分からないなぁという心配はあります。「何でもかんでも平等に」あるいは「あなたはあなたでそのままで…」というような教育方針が主流であるからです。近年、多少は見直されているようですが、まだまだ根強いものがあります。運動会のかけっこで順位をつけなかったり、通知表は相対評価ではなく絶対評価であるとか、ウソかまことかわかりませんが、幼稚園の劇で桃太郎が何人もいたり、集団主義から個人主義になってきたり等…いろいろです。全てが悪いとは思いませんが、何事もバランスが大切です。

 そのようにして育った子どもたちは将来どのような未来をつくっていくのだろうかと私は個人的には心配ではあります。「他人に迷惑はかけても自分が満足できればいい」という集団を抜きにした個人という思考はすでにいろいろな所で見かけます。、また健全な生存競争を抜きにした集団の中の個人は本当に個人であるといえるのでしょうか。集団があっての個人であり、個人あっての集団です。

 聖書において教会はキリストのからだであり、一人ひとりは各器官であると語られます。これは集団と個人の関係性についてよくあらわしている教えであると思います。一人ひとりは役割りの違う各器官であると同時に「キリストのからだ」という一つの集団を形成しているのです。

 皆が同じことをする必要はありません。しかし、自分に与えられている役割をしっかりなしていくことはからだの器官の一部として大切なことです。そして神は成長をも望んでおられます。「あの人は霊的に成長しても自分は自分だから…」というのは神のみこころに反します。成長速度や内容は比べる必要はありませんが「自分は自分だから」と言って他人の霊的成長を無視し、神がその人に望んでおられる成長の過程を止めてしまうことは良くないことです。「あの人、成長したな~!よし私ももっと頑張ろう!」…という聖なる闘争心はあってもいいのではないかと私は思うのです。

 これらは集団が皆同じことをしても、集団を無視した個人だけでもできないことです。神が「その人」に与えられた使命は何であるか?そして神が「その群れ」に与えられた使命は何であるかを常に共に考えていくものでありたいと思います。

一教会の目と神の目

 いよいよ12月に入りました。新潟市は雪はまだ降っていませんが、バイクはこれからオフシーズンに入っていきます(とはいっても状態維持の為に晴れに日にたまに乗るつもりですが)。新潟もそうですが、雪国はバイクの乗れる季節が短いので他県よりもなんとなくライダーが少ないようには感じます。南の地域にお住まいの人は羨ましいです。

 これからの季節になると中古バイクが多く出回ります。私の買ったお店に先日も言ってきたところ、人一人通れるぐらいの通路があってぎゅうぎゅうに中古車が展示されていました。夏よりもいろんなバイクがあるので冬に車でバイク屋に行ってバイクだけ眺めてくるというのもタマにやります。中古車展示場は見に行っても店員がすぐ売買の話をしたがるので本当に探している時でないと行きづらいのですが、バイクは殆どが趣味で乗られている方なので、単純にバイクを見に来たという人も結構いますし、店員もそのつもりでいますから、買うつもりがなくても比較的遊びに行き易いのです。

 なぜ冬に中古バイクの在庫が増えるかというと、単純に乗る人が少なくあまり売れないから在庫が減らないということと、バイクのオフシーズンに入るついでに売却する人が増えるからです。この時期は雪国は在庫が増える一方のようですが、西日本等、雪が降らない地域からの取り寄せで売れていくそうです。アフターメンテナンス等は当然、取り寄せた側の顧客になりますから、地元で売れてくれた方がいいに越したことはないのですが、全国展開しているお店なので、それはそれで全体のバランスという観点でちゃんと冬でも商売が成り立つように上手く出来てます。

 私たちの教会は大学が近くにあり、学生伝道をビジョンの一つに掲げていますが、学生はある程度の年数を経ると故郷に戻っていきます。そんなわけで学生伝道は「送り出す」ことが中心になります。自分たちの教会で育て、共に成長してきた学生たちをその度に送り出すことは教会にとっては痛手です。しかし、一教会だけで見ると痛手ですが、私たちの教会から送り出されて行った兄姉が、遣わされて地域の教会でしっかりと信仰生活を送っていくならば神の目からすればそれは幸いなことであると思います。

 同時に、そのような学生をいつでも迎え入れ、送り出すことが出来るような受け皿を形成するためにも、地域に残る私たちが成長することと、新たに地域の兄姉として共に教会を建て上げて行く人々が起こされるように祈っていかなければなりません。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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