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自転車と道路法規

 ブリジストン製の自転車用チャイルドシートのリコール問題が話題になっています。どうやら、足をのせるステップを踏み台にして乗ることで想定以上の荷重がかかり、金属疲労でステップがもげてしまう可能性があるとのことです。そもそも、足を乗せるためだけのものを踏み台にすること自体が危険なような気がします。たとえ丈夫な材質に換えても、荷重が片方にすべてかかるわけですから、親が目を離した隙に「バタン!」と自転車ごと倒れる危険性は十分に考えられます。

 自転車の二人乗りは16歳以上の人が6歳未満の子どもを専用シートに乗せる時に限り認められていますが(つまり中学生以下の運転や、6歳の誕生日を迎えた年長さんを乗せての二人乗りは問答無用で禁止です!)、不安定なことに変わりはありません。大体、軽車両は(主に自転車)法的に黙認されている部分が多すぎます。大部分の方はルールを守って乗っておられるという前提でお話ししますが、ルール無視や、法律そのものに問題を感じる部分も少なくありません。

 例えば、制限速度ですが、軽車両って道路標識の制限速度に準ずるんです。つまり自動車と同じってことです!50キロ制限の道路であれば、50キロ出していいって事です。「どうせそんなに速度を出せないよ!」と思うでしょうが、ロードレーサーと呼ばれるような自転車は、私のような素人が乗ってもおそらく50キロぐらい出せます。慣れている人が下りを走ると70~80くらいでることだってあります(その場合はもちろんスピード違反ですが)。しかし、免許が必要でヘルメットの着用義務がある原付は30キロ制限です。しかも二人乗り不可です。なのにヘルメットも免許もいらない自転車が、道路によっては60キロで走ることが合法であるというのは危険極まりないです!もちろん二人乗りのママチャリで60キロなんて出ないと思いますが、法律上認められているってことが問題です。せめて制限速度ぐらい設ければいいのにと思います。

 次は、法的に禁止されているのに黙認されているもので、私が特に危険を感じる2点が、右側通行と並走です。自転車は、道路のどちら側を走行してもいいと思っている人が結構いますが、自転車は車道の「左側」を走行しなければなりません。右側通行は逆走です!自動車の運転手からすると本当にひやっとします。原付が右側通行していたら警察は即座に捕まえるでしょう。危ないですからね。しかし、原付より早く走ることが認められているのに自転車の場合は殆どの場合は黙認です。ある意味、バイクの逆走より危険だと思うのですが…

 あとは並走ですね。これもサイクリングロード等の一部を除いて認められていません。道幅の狭めの道路で並走している自転車が自動車の接近に気付いてもそのまま並走していることはよくあります。気付いても並走のまま端に避けたりする場合もあり、私も自転車を追い越す時に並走しているのをやめない為に、ギリギリの幅でひやひやしながら追越すということも少なくないのです。これも、まず取り締まらないでしょう…ちなみに一方通行の場合にも自転車には従う義務があるんですよ(押して歩けばOK)。

 私は高校生の時、自動二輪の免許を取ってバイクに乗っていましたが、通学の時は電車と共に自転車も使用していました。そのことが幸いして両方の立場を見ることができました。そのことから思うことは、自動車は、事故を起こした時に相手に与えるダメージが自転車よりもはるかに大きいです。そのため厳しく取り締まるのもわからなくもないです。だからといって私は自転車に合わせて黙認しろとは思いません。しかし、自転車は「車道」を走る乗り物です。たとえ相手へのダメージが少なくとも、自分自身へのダメージは車の比ではありません。そのような意味で、もっと自転車に対しても交通法規順守を促したり、必要によって法改正したりする必要があるのではないでしょうか。あとは自転車が走りやすい道路作りも大切でしょう。

 教会を見る時、どうしても目立つ所に目がいってしまいます。目立つ部分だけ配慮が行き届いたり、逆に攻撃の的になったりします。しかしその一方で陰に隠れてしまっている部分が配慮が欠けてしまったり、改善すべき点が黙認されてしまったりすることもないわけではありません。日本の教会は、よく教会外から「教会の常識は世間の非常識」とご批判を受けることがあります。信仰の領域に関してはそれでいいと思いますが、その陰で、見過ごされ黙認されていき、人々につまづきをあたえることのないよう、あらゆる面での配慮が必要なのです。もちろん一人でなんてわかりませんから、キリストのからだとして共に補い合いながら、教会を作り上げていくことが大切なのではないでしょうか。
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まず自らが…

 先日、大分で起きた小学生のひき逃げ事件の容疑者が逮捕されました。被害者も一命をとりとめ、容疑者も無事捕まったということで一安心ですが、私個人としてはものすごいひっかかる部分が一点あります(あくまでも私個人としての感想ですが)。それは「車が児童をはねるのを見た」という目撃証言です。普通に考えれば、解決の手掛かりの一つになったのでいいことなのだと思いますが、問題なのは、警察や救急に通報したのは、児童がすでに一人で倒れているのを発見した児童の父親であったということです。

「車が児童をはねるのを見た!」という人は、いったい何をやっていたの!?…と思ってしまいます。だって、現場見てるんだったら、その場で児童に駆け寄って通報すればいいいのに…一歩間違えれば、取り返しのつかないことになっていたのかもしれません。現代は物騒な世の中ですから、事件に関わりたくないという心境はわからないでもないですが、今回のようなケースで関わっていったい何の不利益があるというのでしょうか?必要性を感じたならば、まず自分が行動することが大切であることを思わされます。

 教会にはさまざまな必要がありますが、一人ですべてのことに気づくのは不可能です。しかし、だからと言って自分が気付いたのに、牧師に「先生!お願いします!」と何でもかんでも言ってしまったり、また牧師が信徒に何でもかんでも「○○さん、これもやっておいて下さい!」と押しつけることがいいことではありません。もちろんその立場によってなすべき役割というものはありますが、誰が行なってもなせる教会のニーズというものも数多くあるのではないでしょうか。

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブの手紙1章22節)

「牧師だから…」とか「信徒だから…」というのではなく、まず気付いた自らが「ひょっとしたらこれは私にもできるのではないだろうか」と一歩踏み出すことも大切であるのです。


みんなで車を動かしましょう!

マニアックな話題で申し訳ありませんが、日産のGT-Rがマイナーチェンジして、パワーアップしました。最高出力530馬力、最大トルクが62.5kgmだそうです。凄いですね…我が家のフィットは最高出力が86馬力、最大トルクが12.1kgmですから、馬力にして6倍以上、トルクにして5倍以上です!しかし車重は2倍もありませんから、その加速は凄まじいことでしょう。しかも、最大トルク発生回転数が3500rpm~6000rpmと幅があるので、Gのかかった凄まじい加速が長く続くということです。0-100km加速が3秒フラットだそうです。このスペックだとたぶん10秒もかからないで180kmのリミッターが作動すると思います。日本の公道では時速100kmまでしか体験できないですけどね(笑)。しかし、お値段が一番安いグレードで何と869万円!いや~、無理ですわ…

 このGT-Rですが、0-100km加速が3秒という速さの秘密はエンジンはもちろんなのですが、4WDであるということです(雪国のカーマニアには結構ポイント高い部分です)。車というのは、どんなに凄まじいトラクションがタイヤにかかろうとも地面との摩擦係数の限界を超えたら即ホイールスピンして前に進んでいかなくなります。それでは、せっかくエンジンが潜在能力を持っていても宝の持ち腐れです。しかし、4輪すべてのタイヤで強大な力を伝えることによって、ホイールスピンを抑え、かつ地面に効率的に力を伝えることができます。しかも、後輪は285というふざけたサイズのタイヤであるので(大雑把にいうと軽自動車の倍ぐらいの太さです)、より高い摩擦係数を得ることができます。高性能のエンジンには、高性能の動力伝達装置があってこそ、本領が発揮されるのです。

 さて、また強引に教会の話に持っていきますが、一つの教会が持っている賜物というものは、たとえ小さな教会であっても、相当なものなのではないかと私は思っています。しかし、潜在能力はあれど、それを用いる人々がいないために、教会の賜物が発揮されないということがあるのではないでしょうか。

 よく有能な牧師が赴任して、教会が急成長したという話を聞きます。もちろん、その牧師の教育する賜物や伝道する賜物によって成長を遂げるということもあると思いますが、もう一つの見方として、もともと教会に潜在的に潜んでいた賜物を、牧師がうまく用いたととることもできるのではないでしょうか。つまり、もともと高性能のエンジンであったのに、それを地面に伝える人が少なかったために、うまく能力が発揮されなかったが、伝達する人が増えたことによって凄まじい能力が発揮されることもあるということです。

 信徒数20数名の頃から伝道所開拓を考え、自らの教会もしっかりと成長させつつ、伝道所開拓も行っていったという教会を私は知っていますが、これは、教会が持てる能力を皆が一つとなって用いていくならば、強大な力を発揮するという良い例なのではないかと思います。「人数が少ないからダメだ!」とか「人数が多いから大丈夫!」とかいう基準ではなく、神がその教会に与えられた賜物を、フルに用いることができるかどうかということが大切なのではないでしょうか。

物事の本質

 もうすでに7日経ちましたが、2011年になり、最初の記事です。1月にもなるとすっかり冬といった感じで、今朝も少しだけ積もりました。しかし昨シーズンの豪雪に比べたら、だいぶ楽です…とはいっても、私の趣味の一つであるオートバイはしばらく冬眠でしょう…残念です。だからといって本当に春まで乗らなかったら、バッテリーあがっちゃうので、晴れの日を見つけてたまには乗るつもりです。

 オートバイの魅力は何と言っても解放感です。風を切りながら、まったりと走るとなんとも言えない解放感にひたれます。新潟は風が強いのでフルカウルでないと逆にその風がつらいですが(笑)。もう一つは加速力です。たとえ車より排気量が小さくとも、重さは数分の一ですから、気持ちのいい俊敏な加速をします(もちろん常識の範囲内の速度までですが)。エコ的に無駄なんて言わないで下さいね。そんなこと言ったら世の中の大半の趣味を否定することになりますから。

 逆にバイクの短所は、何といっても転倒リスクです。私も最近は、特にある程度の距離を乗るときは、上着の下に脊椎・胸・肘・肩にプロテクターが付いているインナージャケットを着ています。ヘルメットはもちろんフルフェイスです。しかし、このような認識が意外に浸透していなくて、事故でのダメージが大きくなり、そのことによってバイクの危険性ばかりが先行して、ライダーは肩身の狭い思いをしています。あとは○○族のイメージですね。彼らなんて、下手したらノーヘルですから。

 しかし、ちゃんと装備をして、無茶さえしなければ、バイクは楽しい乗りものです。もちろん車より安全であるなんてことは言えませんけど、「バイクは危険だ!」とばかり言っていては、本来は楽しい乗り物であるのに、その楽しさが失われてしまいます。「危険だからダメ!」の一辺倒ではなく「こうしたら安全に楽しく乗れるよ!」というアプローチも時には必要であると思うのです。

 みなさん!オートバイは本来は楽しい乗り物です!若者のバイク離れは、将来的な車離れにつながります。自動車業界が落ち込むことは、日本の経済に大きな影響を与えます!これは、私がバイクの弁護をしているというのもありますが、専門家も言っている冷静な分析です。もっと「健全に」ライダーが増えればなぁと思っているこの頃です。

 さて、教会の働きは、時にリスクが伴います。新たなものを取り入れるときなどは特にそうです。しかし、本当は、そのリスクさえ取り除いてしまえば、非常に有益なものにも関わらず、「リスクがあるからダメ!」といってしまっては、身も蓋もありません。例えば「若者は暴走するから…」と言って、若い人に働きを委ねるのをいつまでもためらうのではなく、ちょっとだけ見守ってあげて、任せたら意外にとてつもない力を発揮するかもしれません。

 時に私たちは、その人の弱い部分を見つけては、それを理由にその人を排除しようとしてしまいます。しかし、それは違います。本来は「私も手伝うよ!」と言ってその弱い部分を補ったり、「とてもいいよ!ただ、この部分だけ気をつけたらいいと思うよ」と言って、その人を成長させることによって、一層、その人が主の栄光をあらわすことができるのではないでしょうか。外側に付随するものばかりで判断して排除するのではなく、その本質を見極めることが大切なのではないでしょうか。

 
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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