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分かりやすくする

 先日、修理に出していたバイクが戻ってきました。保障期間内なので無償ですが、何せ古いバイクなので、ある程度のことは仕方がないのでしょう。ちゃんとした工具があれば自分で見たいのですが、まともにそろえたら、結局、修理に出すぐらいの金額がかかってしまうかもしれません。

 その際、一応原因を聞いたのですが、だいぶ省略して分かりやすく説明してくれました。私としては、その省略した部分を聞きたかったのですが、お店側としては、専門的な説明をしても、逆に分かりづらくなるだろうと予測して気を遣ってくださったのだと思います。まさか私が自動車整備士をやっていたなんて思わないでしょうから・・・でも、一般的にはお店の人の説明の仕方の方が喜ばれるのだと思います。

 聖書は非常に奥深いものです。一生かけて学んでいかなければならないほどです。なので知識を得ると、専門的な難しい説明をしたくなる誘惑があります。そのような説明をあえて求めている人はそれでいいのですが、多くの人はそうではありません。できるだけ完結に分かりやすく説明されることを望んでいるのだと思います。

 クリスチャン生活においては、深く学んで、クリスチャンとして専門的な知識を得ることは大切なことです。しかし、聖書の真理そのものは本来、分かりやすいものなのです。分かりやすいものを、私が説明する時に難しくしていないだろうか?・・・といつも注意していきたいと願います。
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みんなでつくろう!

 先日の日曜日は、宣教区の講壇交換でした。私は、神学生時代に2年間に渡り、奉仕神学生としてお世話になった教会での説教奉仕でした。妻も同じように神学生時代に1年間、お世話になったこともあり、二人(+小さいの)で礼拝に行かせていただきました。久しぶりの方、初めての方等、良い交わりの機会を感謝します。

 しかし、子どもの成長は早いものです。私が以前いたころにしゃべっていなかったような子が、もう小学生で元気に飛び回っているわけですから・・・いやー、月日が経つのは早いものです。じつは、この教会、私がいた2年間の間に牧師の交代がありまして、貴重な変わり目を見させていただいたことであります。誤解の無いように言っておきますが、何か問題があって牧師交代があったわけではなく、当時牧会していた牧師が、開拓伝道の重荷が与えられたからなんです。

 そんな中で、私が当時、そして先日も行かせていただいて「すばらしいなぁ!」と思っていることは、牧師交代という大きな出来事がありながらも、変わらず、教会の営みがなされているということです。もちろん、当事者の教会員からすれば、いろいろなことがあったかもしれないのですが、多くの信徒の方々がしっかりと教会を支えているんだなぁと思ったことであります。現牧師の個性が生かされつつ、しかし、その教会はその教会として営みがなされている・・・すばらしいことではないかと思うのです。

 これは、ワンマン牧会ではなしえないことではないかと思うのです。牧師がリーダーシップを持つことは大切なことです。しかし、それがいわゆる「ワンマン」になってしまうと、教会の統制は保たれるかもしれませんが、牧師がいざ交代となったときに、大きな問題を抱えることになります。ある牧師から聞いた言葉なのですが、「牧師が何でもかんでも引っ張っていくのではなく、牧師がいなくとも教会の働きがきちんとなされていくことが成功した牧会だ!」と言っていました。まぁ、これは、分かりやすいように誇張して言った言葉であると思うのですが、ある意味、真実ではないかと思います。

 現実として牧師が導いていかなければならないことは多々あります。しかし、その導きは、ただのトップダウン形式ではなく、一人ひとりが、教会の働きに参与していくことができるように導くことが大切であると思います。今の私がそのような牧会ができているかと言われれば、決して十分ではありません、皆がキリストのからだとして教会形成をなしていけるような牧会を目指したいと願います。

必要なしつこさ

 最近、あちらこちらで地デジのPRがなされています。まぁ、当然といえば当然でしょうか。2011年7月には、確実に地デジにするしかないわけですから。しかし、PRと同様、「アナログ放送の右上の”アナログ”の表示がしつこい!」なんて声もよく聞きます。新聞の投稿欄ななんかにもあったりなんかもします。確かにアナログ放送を見ている人にとってみたら「もう十分わかっているよ!!」と言いたくなる気持ちもわかります。勉強と一緒で、あまり言われると逆にしたくなくなるという心理もあるのだと思います。

anarogu←この表示のことです


 しかし、一方では、十分認識していない人たちもいることも事実です。全面地デジ化は、チューナーを買ったり、テレビを買い換えたりするので負担であるとか、国で一方的に決めたとかさまざまな意見もありますが、2011年7月にアナログ放送が終了するのは、これから訪れようとしている紛れも無い現実です。だからこそ「しつこく」アピールしているのだと思います。「あの”アナログ”の文字はたまに表示すればいいのではないかと思うところですが、そのようにすると、2年後の現実を迎えた時に「何でもっと事前にPRしてくれなかったのか!」という人たちが「必ず」出てくるのだと思います。そう言われないためにも、賛否両論はありますが、たとえ嫌われても「必ず訪れますよ!」というしつこいぐらいのアピールがなされているのではないかと思います。

 教会において「礼拝を守りましょう!」「聖書を読みましょう!」「祈りましょう!」など、繰り返し言われることが多々あると思います。でも、これらを勉強や地デジのように「あまり言われると、やりたくなくなる」とか「しつこい」とか言うことが正しいのでしょうか?これらは、聖書を通して神様御自身が私たちに望んでおられる願いです。しかし、私たちは自分自身の力だけで、そのような生活をなしていくことは難しいのです(というよりも、できません。少なくとも私は・・・)。だからこそ、大切な真理は繰り返し教えられる必要があるのだと思います。

 特に「福音」に関しては人からどう思われようと、「自分は罪人であり、キリストの十字架を信じることによってのみ、その罪が赦される」ということを伝えなければ、人は救われません。個々の導きにおいては配慮が必要であると思いますが、教会そのものが福音を伝えることを「しつこいと思われたくない」「嫌われたくない」からといってやめてしまったら、その先に信じていない人々に訪れるのは神の裁きです。これは地デジ以上に確実に訪れることであります。福音は勉強と違って、伝えなければ信じることができません。だから私たちは、「宣教の教会」であることを忘れてはならないと私は願います。


「 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」(ローマ人への手紙10:14)

 ちなみに我が家は2年ほど前に地デジ対応のテレビにしましたが、今のほうが同じスペックのものが数万円は安かったりします。まぁ、電化製品は日進月歩なので、いつ買っても、同じことは思うのだと思いますけどね。

フィードバック

 先日、トヨタ自動車のF1撤退の発表がなされました。上方修正されたとはいえ、赤字決算の中で年間数百億とも言われるF1参戦は厳しかったのでしょう。現実は現実として仕方がないのですが、車好きの私としては少々残念です。一足早くホンダもF1を撤退しているので、これで日本のメーカーがF1から姿を消すことになります。たとえ1億円持っていたとしても日本車に乗りたいと思っている日本車びいきの私としては寂しい限りです。

 そもそも、モータースポーツは、経済的余力のある自動車メーカーが宣伝や娯楽のためにやっているものと思われがちですが、決してそうではありません。(目的の一部ではありますが・・・)F1なんかはメーカーにとっての「走る実験室」なんて言われたりもします(撤退されないために苦し紛れに言ったらしいですが・・・)。つまり、F1の現場で自動車に関する最新技術が開発され、導入され、やがて市販車に応用されたりすることも多々あります。代表的なのはホンダのVTECエンジンです。この下の説明は車好きでない人は飛ばして下さい(笑)。

 このVTECという機構は、カムシャフトのリフト機構をエンジンの回転数によって・・・といっても難しくなりますので、なるべく簡単に説明しますと、普通のエンジンは空気をエンジン内に入れる時間というものは1回転数あたり一定です(これを制御しているのをカムシャフトと言います)。しかし、高回転域のエンジンに勢いがある時は、少し空気を入れてあげる時間を長くすると空気の流れの勢いで、より多くの空気が取り込め、それだけパワーが出るわけです。低回転でそれをやると、空気に勢いがないので逆に空気が押し戻されてしまいます。しかし、カムシャフトの構造上、1回転あたり空気を入れる時間というものは固定されていしまいますから、低回転を重視して空気を入れる時間を短くするか、低回転を犠牲にして、高回転型のカムシャフトにするかしかありません。

 しかし、このVTEC機構は、カムシャフトに特殊な制御をして空気を取り込む時間を変えられるようにすることができるのです。低回転では空気を入れる時間を短くして、高回転になると少しその時間を長くし、より多くの空気を取り込み、低回転でも高回転でもパワーを出すのが狙いです。私も以前、VTECエンジンのシビックに乗っていましたが、その効果は凄まじいものです。なんせエンジンはノーマルのままで、スピードリミッターを解除しただけで200キロ以上出ましたからね。普通の1600ccでは、そんな車ありません!あっ、ちなみにこの出来事は私が牧師になるよりも、ずーと以前のことなので、今はそんなことはしませんよ!!

 この機構は、制御の仕方によっては、回転数に応じた空気とガソリンの量を最適に出来ますから燃費向上にも役立ちますし、実際にその狙いもあります。これは今ではどのメーカーでも使用されているぐらい一般的な技術となっています。F1へのブリジストンのタイヤ供給なんかも、いかにグリップ力を落とさずにタイヤの磨耗を抑えるかとか、ある程度ではあると思いますが、フィードバックされていると思いますよ。

 しかし、そのために企業そのものがなくなってしまっては意味が無いですから、仕方がない決断なのでしょう。また、近年の環境への配慮から、エンジン開発から、モーターなどへの開発にコストがかけられるようになったのでしょう。今はまだ、ハイブリットカーがやっと増え始めてきたところですが、将来、電気自動車が一般的になったら、F1もモーターで走るようになって、また多くの自動車メーカーが参入してきて・・・みたいなことになったら面白いなぁなんてことを個人的に思っています。

 聖書の教えは新約でさえ、今からおよそ2000年も前のものです。現代と文化も違えば、字義通りに受け取るべきではない部分もあるでしょう。しかし、聖書は決して変わらない真理です。クリスチャンはそのみことばを実生活にフィードバックさせる必要があると思います。例えば使徒の働きに記されている初代教会の姿は、互いに財産を差し出し、共同生活をし、いつも祈り、食事を共にしていました。そのような生活はすばらしいですが、現実に私たちがそのようにしていくわけにはいきません。だからといって「これは聖書の世界だから」といって無視してはならないのです。これを自分自身に「フィードバック」させる必要があります。つまり、初代教会と全く同じことはできなくとも、そのスピリットを学び、現代の教会形成に生かしていくということは大切であると思います。

 聖書の記述と私たちの取り巻く環境とのギャップがあることは事実です。しかし、「同じことなんてできない!それは理想論だ!」と言って、都合のいいようにばっさり切り捨てるのではなく、聖書から、もう一回自分に戻し、「このみことばは、今の私にとって何をすることが求められているのだろうか」といって、フィードバックさせることが必要なのではないでしょうか。


 でもF1の一番の目的は「誰よりも速く!」という情熱なのだと私は思います。
プロフィール

☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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