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教会は敷居が高い??

とあるキリスト教系列の新聞で「日本の教会は敷居が高い」という言葉が使われていました。たぶん多くの人が「そうだよね」と思うでしょうし、実際、使用する人も多いかと思います。でも私は以前から、その言い方に違和感を覚えます。何故ならば、「教会は敷居が高い」を教会に来たことがない人が中々入りづらいみたいなことの意味として使われるからです。

「敷居が高い」という言葉を辞典で調べると「不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくい。」と記されています。つまり、この言葉は過去にその家に訪れた人が用いる言葉であって、初めての人に対して用いるのは全くの誤用であります。確かに引用の仕方の間違えやすい言葉ではありますが、文章のプロたる新聞社が間違えてはいけません。もし「教会は敷居が高い」という言葉を用いるならば、初めての人にではなく、何らかの事情で教会からしばらく離れてしまって、いざ行こうと思っても行きにくくなっているような状況の時に用いるのが正しい使い方かなと思います。

そう言いながら私自身、別の言葉で用い方を間違っているものもあるかもしれません。教会はキリスト教の専門用語が飛び交います。その反面で世間が当たり前のように用いている言葉を知らなかったりもするのも否定できません。例えば未婚者を「青年」という言葉でひとくくりするのも結婚年齢の変化をみると時代にそぐわないですしね。世の光としての働きの中でそのあたりも配慮していかなければと思わされます。

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わかっているけどつい…

 早いもので、いつのまにか2017年になってしまいました。すっかり冬の季節に入りましたが、我が家の周りは未だ積雪がありません。雨や雪の降らない日も例年よりも多いような気がします。おかげで子どもたちはよく外で遊んでいます。

 子どもたちの外遊びの流行りは「自転車」です。お兄ちゃんは、ご近所さんから譲り受けた自転車に乗っていたのですが、小さすぎて乗りにくく、新しのをほしがていたので、中古ですがクリスマスプレゼントで自転車を買ってあげました。そして弟くんは今までお兄ちゃんが乗っていた自転車を乗っています。二人とも道路で中々一時停止とか前後左右の確認がまだまだ甘いので敷地内の駐車場で遊ばしています。

 慎重すぎますかね?でも、これぐらいしないと身は守れないと思います。そもそも歩きでも危なっかしいところがありますから、まずは歩きでもちゃんと交通ルールを守れるようになってからでしょう。じつは私は子どものころ、飛び出しで3回ほど事故に会っています。そのうちの二回は自転車です。3回の交通事故に会いながらも奇跡的に無事でいます。でも普通はただでは済みません。だからこそ、子どもたちには交通ルールの大切さを学んでもらいたいと思っています。

 我が家の敷地内から道路に出るところは結構な坂道になっています。どれぐらいかというと雪が積もってしまうと4WDでないと登るのがきついというぐらいの坂道です。ところが、子どもたちはその斜面でスピードが出る感覚が好きなようで、つい一時停止もせずに勢いよく道路に飛び出してしまいます。何度も注意してもなかなか直りません。これは我が家の子どもたちだけではなく、ご近所の子どもたちもやってしまうことですし、以前、教会に集っていたとある留学生もノンストップで飛び出すのを見かけて注意したことがあります。でも直りませんでしたが…きっと危ないと聞いてその時耳には入っていてはいても、いざ坂道で自転車に勢いがつくと忘れてしまうのです。あの坂道にはそんな誘惑があるのかと思ってしまいます(笑)。

 「分かってるよ!」「大丈夫だよ!」…自分はそんな誘惑には乗らないと思っているところにこそ落とし穴があるのかもしれません。私たちは神の御前にはまだまだ弱さを持つものであり、その弱さと戦いながら信仰生活を送っていくのではないでしょうか。

その情報は本当に正しいのですか?

先日、タクシーが暴走して病院に突っ込み10人が死傷した事故がありました。私は状況からアクセルとブレーキの踏み間違いだと思っていましたが、世間では「車の欠陥ではないのか」という声も少なくありません。

何故なのかというと事故を起こした車はハイブリッドカーで、特殊なブレーキシステムを使っているからです。細かく説明すると長くなるので割愛しますが、要は電子制御の部分が普通の車よりも多いから電子制御の不具合なのではと言われているわけです。

確かにこの車は以前ブレーキシステムの不具合があり改善対策をした経緯がありますが、それはごく低速での違和感のようなもので、ブレーキが全く効かなくなるなんていう不具合ではありませんでした。

人というのは自分で理解できないものに不安を抱きます。機械的な仕組みであれば人の介入度も大きいし、仕組みもある程度理解ができるので安心だけど、電子制御だとわからない部分が多いし、機械任せな部分の割合が大きいから不安だというわけです。

でも実際、車の事故というものは電子制御の不具合の確率よりも機械的な部分の不具合での確率の方が遥かに高い数値になっています。ましてやアクセルも踏んでないのにスロットルバルブが勝手に全開になって暴走し、なおかつブレーキが全く効かなくなるなんて確率は天文学的数値ぐらい低い割合でしょう。本当にそうであれば仕方がありません。100%完全に不具合が起きない車なんて作るのは不可能ですからね。

そして事故が起きる時に機械的不具合よりも確率が高いものがあります。それはドライバーの操作ミスや無謀運転といった人為的によるものです。事故の多くがこのケースです。にも関わらず未だに車の欠陥を疑うケースは後を絶たず、裏付けの取りようもないようなネットなどでの経験談を信じ込んでしまうのです。ですから車の構造を専門的に学んだことのない人は"直接"専門家やその道の職業の人に聞くことをお勧めします。

今回の事故車両の記録の解析結果で、アクセルが踏まれておりブレーキが踏まれていなかったという発表がありました。まぁ、そうでしょうね。それしかないですよ。それでも疑うという人は飛行機のフライトレコーダーや自動操縦、さらには犯人逮捕のためのDNA検査、もっというならばこのネットワークというものそのものも多くがコンピュータ制御なわけでそういうものもすべて疑わなければならなくなっちゃいますよ。

ネット上に記事を記載しておいてなんですが、ネットの情報はあくまで参考で絶対ではないことを忘れてはならないんだと思います。少なくとも自分の考えに合う情報を拾ってきて、いかにもそれが真実だということはやめましょう。多角的に検証したうえで判断すべきです。


クリスチャンの趣味について

 先月、新潟にしては珍しくバイク関連のカフェを見つけて入ってみました。そのお店はバイク関連の中古書籍を主に扱っているカフェで、コーヒーのメニューも「シングル」「Vツイン」「Lツイン」など、バイク乗りにしかわからないような(笑)マニアックなメニューでした。普通においしかったです。

 このお店に行ったのが平日の昼間ということで他のお客さんは誰もおらず、オーナーの奥様がお1人で店番をしておりました。話を聞いてみると、オーナーは大手バイク関連会社にいたのですが、早期退職して、今まで思いとしてあった新潟にもバイク乗りの集えるようなお店をということで昨年から始めたそうです。カフェだけでは生活が厳しいということで、平日の昼間は奥様にお店をまかせて別の仕事をしているそうです。こういった雪国でバイク関連のお店はとても貴重なので、犠牲を払いながらこういったお店をやってくださるのは何だか嬉しくなりますね。

 オーナーの奥様とお話をしながら職業の話をしていると「牧師でもバイク大丈夫なんですね!」と私が牧師だということを驚かれていました。どうやら、牧師はこういった世俗的な趣味を持つことが許されていないのではないかとのイメージがあったようです。私は「聖書の教えに反しない限りは趣味は自由ですよ」とお答えしておきました(笑)。

 でもクリスチャンの中にはこういったイメージをお持ちの方っているのではないでしょうか。以前、とあるクリスチャンの方に私のバイクを見て「まさか、改造していないでしょうね?」と聞かれたことがあります。その時に乗っていたバイクはほぼ無改造だったので、そのことを伝えると「ああ、よかった…」と胸を撫でおろしていました・・・???それってクリスチャンがバイクをカスタムするのは罪だとでも言いたいのでしょうか。これはみことばの教義ではなく完全にイメージの世界ですよね。マフラーがカスタムされている今のバイク見たらショック受けるかな、もちろん車検対応品なのですが、この人の中ではきっとアウトなんでしょうね。今度聞かれたらノーマルマフラーですって言っておこう(笑)。

 礼拝のスタイルはこうあるべきとか、クリスチャンの服装はこうあるべきとか、クリスチャンの趣味に○○は世俗的だとか、イメージで決めつけているものって多いような気がします。もちろん聖書的根拠があるのであればいいのですが、根拠を示せないものも少なくないでしょう。みことばに根ざしたクリスチャン生活の大切さを思わされます。とにかくクリスチャンだろうと牧師だろうとバイクは大丈夫です。暴走行為や不正改造をするなら別ですが、クリスチャンと言えども趣味を楽しみましょう。


環境のせいばかりにはしていられない

 今日、ニュースを見ていたら、20代男性が高速道路を逆走して死亡したという事故がありました。近年、高齢者による高速道路の逆走が問題になっています。そういった流れからすると「何故、こんな若者が?」と思ってしまうような事故です。確かに年代ごとに分けて事故率を見れば高齢者の事故率が高いことは事実でしょう。でも、じつは高齢者以外が高速逆走で事故を起こしてしまうケースは珍しくありません。実際、高齢者の逆走事故の割合は、おおよそ4割ほどです。つまり残りの6割が高齢者以外であるということです。近年、高齢者の人口が増えていますから分母が増える分、事故件数も増えてきていることでしょう。それでも年齢という理由では説明ができないおおよそ6割の人が逆走事故を起こしているのです。これは何かどこかに問題があるのではないかと思ってしまいます。

 確かにこういった声は結構多いです。ですが、その多くが高速道路の構造上の問題にしています。その為、実際にICの合流地点でポールを設けて逆走しにくくしたりしていますが、サービスエリアやICの入り口の時点で間違えてしまってはその予防も意味がありません。反対から通れないようにゲートを付ければいいという声もありますが、それをしたら恐らく頻繁に渋滞が起きるでしょうし、きっと設置費用のコストが莫大となってただでさえ高い高速料金がさらに値上がりするのが目に見えています。何よりも「問題が絶対起きないような構造にする」という発想はある程度は必要ですが、限度をわきまえないと行きつく先は「車は走る凶器だから販売禁止にしましょう!」という発想になってしまします。

 私は思うのですが、車は運転することそのものにリスクがあります。各メーカーが様々な安全対策を開発していきますが、リスクがゼロになることは絶対にありません。もちろん、より安全な設計になっていくことは望ましいですが、最終的にはドライバーの意識の問題ではないかと思うのです。最善な安全策は取りながらも、運転者であることの自覚を持ち、交通法規に熟知していくことです。「そんな覚えられないよ~!」という人は、厳しい言い方ですが、免許を更新するのはやめた方がいいと思います。

 例えば同じ国家資格である医師免許を持つ方々は人のいのちをあずかっているという自覚が当然必要となっていきます。たとえ医療機器が発達してできるだけ医療事故が起きないような安全策がとられたとしても、「え~!そんなこと知らなかった!」と言って医療事故を起こしたら、それは「事故が起きる環境が悪い!」とはならず「医師免許を持ってるのになんでそんなこと間違えるんだ!」という批判を受けることとなるでしょう。自動車も扱い方を間違えれば簡単に人のいのちを奪ってしまうものです。ですから「高速は逆走しちゃだめなんて知らなかった」とか「どっちが進行方向か分かりにくいから間違えた」という言い訳は免許を持っている以上はしてはいけない言い訳です。それぐらい自動車免許とは責任あるものです。安全対策はさらにしていくべきですが、免許保有者の責任という自覚をなくしてしまうような度を過ぎた安全対策は個人的には反対ですし、きっとそんなことにはならないだろうと希望を持っています。

 人は罪を犯します。そしてそれは色々な状況の中でいつの間にか過ちを犯してしまったとか、苦しい状況だったからつい誘惑に負けてしまったとか色々なケースがあると思います。もちろんこれらの罪は悔い改めれば神の御前にすべて赦される罪ですが、犯した罪の責任は周りの状況や苦しさのせいにしてはならないのです。神の御前にはあくまでも罪を犯した本人が問われることとなるのです。状況を変えて罪から離れることも大切です。それでも人は完全ではありません。どんなに罪を犯しにくくするような環境に身を置いたとしてもゼロにはできないのです。それが人間です。ですから罪を「環境の故に仕方なし」と捉えるのではなく、日々、自らの弱さと向き合いながら歩んでいくことも大切なのではないでしょうか。

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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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