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「感情論」に頼ることなく

 最近のテレビの報道を見ていると良いニュースも悪いニュースもレポータやアナウンサーがじつに凝った言葉遣いをするようになったなぁと感じています。なんて言いますか、まるで詩人や作家が使うような表現をする人が増えているように感じるということです。私はなんとなくそれが気になります。

 何故かというと、報道の善し悪しを感情に訴えているような気がしてならないのです。必要以上に悲しみを表現するような文言を使えば、よりその事件や事故の悲しさが際立つのでしょうが、本来は公平に真実を伝えるべきはずの報道のバランスが崩れてしまうのではと思っています。何気ないことを劇的な表現をして、あたかもそれが正しいかのように報道するようなこともあります。皆がそうではありませんし、感情に訴えることの全てが悪いわけではありませんが、このような感情に訴える報道がメインとなってしまうと、物事の真実性が失われるような気がして、私は個人的に気になっています。

 昔、「四つの法則」という伝道冊子が流行ったのですが(今でもその内容は不変であると思います)、その最後の方に「感情に頼ってはいけません」ということが記されていました。確かにその通りです。私たちの救いとは「聖書のみことばの約束」という真実に基づいているからです。救われているような喜びがあるから救われるのではなく、聖書の約束に従ったから救われているわけです。喜びはその確信にともなって後から与えられるものであると思います。

 主に従って行くとき「喜んで」という感情の部分は大切ですが、あくまでもそれはみことばの根拠があるから喜べるのです。救いは「感情的」ではなくじつは「理性的」なものであるのです。
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自分さえよければ…

 最近、車を運転しているとトンネルでヘッドライトを点けない車が目立つようになってきました。短いトンネルだと出入口からの光で十分前方の車を認識できるのですが、ある程度の長さ以上だと、テールランプが点いていないとほとんど見えません。高速道路はトンネルの照明が明るくなるように設計されいるのでまだマシなのですが、一般道は必要最低限の照明なので、車間距離が詰まってきてから前方の車がやっと見えて、ひやっとすることもたまにあります。

 何故、昔よりもそのような車が増えているのかというと、おそらくスピードメーターが自発光式になっている車が増えているからだと思います。 自発光式メーターは昼間であってもメーターの数字や針そのものをバックライトによって照らします。その為、視認性に優れます。じつは、これが落とし穴となり、トンネルに入ってもメーターは明るく光って見えてしまいますからライトを点け忘れるのです。点け忘れるならまだマシですが、実際は「自分はメーターも前方の車も見えているから大丈夫」という感覚の人が多いと思われます。しかし、大丈夫なのは「自分」だけであって対向車や後続車に危険を招くことになります。

「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」マタイの福音書7章12節

 聖書の黄金律とも言われるみことばですが、このみことばを逆説的に考えれば、他の人がしてもらいたくないことは、自分もしないということです。信仰は自分と神との個人的な関係です。しかし、「タテ」の関係ばかりを重視するあまり、隣人との「ヨコ」の関係がなおざりになってしまうことがあってはなりません。「これは自分の信仰だ!自分さえよければそれでいいではないか!」とか「自分は大丈夫だから他の人も大丈夫!」という考えは聖書的ではありません。そうではなく、隣人を生かす信仰こそキリストのからだなる教会に求められるものではないでしょうか。

イメージと事実

 間もなくゴールデンウィークに入ります。世間では、ガソリン代高騰に伴い、ガソリンが節約できる近場のスポットが人気となるのではとの予想です。

 確かにガソリン代は高いですね。レギュラーガソリンがちょっと前のハイオク並み(あるいはそれ以上)です。日常の足として車を使っている方々は年間を通すと以前と比べて結構な差額になるでしょう。

 しかし、冷静に考えてみましょう。仮にガソリンが高騰する前との1ℓあたりのガソリン価格の差を15円ぐらいとします(1ℓあたり100円を切っていたような時代と比べると身も蓋もないのでやめましょう)。そんでもって行楽に出かける距離を仮に1000kmとします(多く見積もっています)。さらに燃費を休日の渋滞等も考慮して10km/ℓとします(これも悪く見積もってます)。そうするとガソリンを100ℓ使う計算になります。ということは、ガソリン価格高騰前との差額は「たった1500円」ということになります。これは悪く見積もっているので実際は差額はさらに少ない可能性があります。

 これが毎月ならともかく、多い人でも年間数回の長距離家族旅行で1500円を惜しむというのはどうなのかと私は思います。家族4人なら旅先の食事代1回にも満たない金額です。年間数回の+1500円ぐらいの贅沢(あるいはそれ以上)なんて誰でもやっていると思いますし、私だってそうです。しかし、たったそれだけのガソリン代だけの差額を惜しんで地方の行楽地で商売をしている方々がダメージを受けるのは大変ですし、また日本の景気とっても良くないと思います。

 それを承知の上で節約をする人はそれはそれでいいと思うのですが、中には(私の予想ではかなりの割合の人)ガソリン高騰が過大にイメージされて、旅行する上での全体の費用としては大した差額ではないということに気づいていない人がいるのではないかと思います。報道でのイメージや1ℓあたりの価格差という限られた視野でしか見ないと時に事実を見誤ります。

 聖書は66巻全てが誤りなき神のことばです。イメージで「そんな奇跡は信じられない」とか「多数派が言っていることが正しい」という視点で読むと真実が見えません。また文脈を無視して一か所だけを抜き取って強調することも真実を見誤る危険性があります。カルトがその典型でしょう。離れたところで森だけを見るのではなく、その中の一本の木だけを見るのでもなく、森を見つつ、一本一本の木を大切にしていくべきだと思います。

表面と内面

 一月の下旬から大寒波の影響で新潟市でも積雪が続いています。今回はいつもと違って新潟市の西側の方が雪が多いようで、私の家でも50、60センチほど積もりました。まぁ、それでも新潟県の中ではかなり雪が少ない方です。

 さすがに除雪車が来ましたが、それはそれで感謝なんですが…微妙です。新潟市はあまり降らないので慣れてないということもあって、そんなに責めることはできないのかもしれませんが、それにしたって…ビミョーです。

 まず、安全マージンを取りすぎです。端まで除雪しているとことでも側溝から50センチぐらい、場所によっては路肩から1メートルぐらいのスペースが空いているところもあります。それを両方の路肩でやられると車がすれ違うことが出来ないぐらいの幅になってしまいます。さらに除雪前なら雪の上に乗っかればすれ違いが出来るものが、除雪したことによって雪の高さが増して、それも出来なくなってしまいます。今回は車がすれ違うたびに徐々に道路の幅が広がっているような感じですが、二年前に80センチ降った時は本当に困りました。これは仕方がないのかなと思ったのですが、近くの国道はちゃんとギリギリ除雪しているので、もっと何とかならないかという思いがあります。

 あともう一つが地面からだいぶ上を除雪しているということです。私は専門家なので分かりませんが、もっとなんとかならないかと思ってしまいます。その結果、私の家の団地の道路は二回も除雪車が来たにも関わらず、未だにぁ雪でボコボコガタガタの路面です。二回目の除雪にいたっては、圧雪の路面は全くそのままで、後から降った15~20センチぐらいの表面の新雪を退けただけでした。近日の積雪は最初の一回目ドカ雪とは違って10センチづつ積もるぐらいで、新潟市程度の気温であれば日中に降らなければ結構雪が溶けてしまうのですが、最初の分厚い圧雪がそのままなのでなかなか溶けません。

 これらの問題は、もしかしたら最大限やっての結果かもしれないので、あくまでも私の願望としての意見ですが、せっかく除雪したのに表面の柔らかい雪だけがなくなって、あとは前の夜のままというのはちょっともったいない気がします。

 私たち人間は罪を犯します。それはクリスチャンであってもそうでなくても変わらない現実です。「おまえ、クリスチャンのクセに!」というご批判を受けてこられたクリスチャンの方も多いでしょう。しかし、それは勘違いの批判であって、クリスチャンになったらいきなり素晴らしい人格になって素晴らしい行いができるなんて公式は聖書のどこにもありません。これは信仰生活の生涯をかけて徐々に成長していくものです。もちろん、あまりにも道徳的に外れて罪に捕われているような歩みは別です。そういう場合は「クリスチャンなのに…」というよりも、厳しい言い方ですが、そもそも本当の意味での救いを受けていないとも考えられます。

 では、クリスチャンになっても罪を犯してしまうというのなら、クリスチャンになって一体何が変わるのでしょうか?それは表面上の事ではなく、内面です。内面が生まれたままの古い性質であるならば、たとえ、表面上の汚れを払っても、汚れは残ったままとなります。内面を聖める必要があるのです。ちょうど、圧雪の上の新雪を退けただけでは、なかなか雪が溶けないのと同様です。

しかし、クリスチャンは既にキリストの十字架によって罪赦されている存在です。確かに罪を犯しますが、その内側はもう聖められています。その為、外に出て足だけにほこりがついてしまったのならば、足のほこりだけ洗い流せばいいのです。一度、地面が見えるぐらいまで除雪をすれば、その後にふるわずかな雪はすぐに退けることができるのと同様です。これは日々の信仰生活における悔改めであるといえます。

 『イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」』(ヨハネの福音書3章10節)

 だからといって「表面さえはらっていればいいのだ!」といって罪を犯していいということではありません。一歩でも二歩でも神に喜ばれる歩みが出来るように整えられいくべきではないでしょうか。

気づいてないだけかも?

 みなさん、最近、異様にヘッドライトがまぶしい車を見かけませんか?昔は大抵そういうのはハイビームにしているか、ちょっとぶつけて光軸が狂っているかでしたが、しかし最近はハイビームで走っているわけでもなさそうでいったい??…と思っている人もいるかもしれません。その中のかなりの割合の人はライトのバルブをハロゲン球から「HID」というヤツに変えていると思われます。

 普通のハロゲン球は、バルブの中のフィラメントに電気を通してその明りを光源とするものです。家庭用の一般的な白熱球がそうですね。一方HIDはフィラメントがなく直接放電します。大抵の電球切れの原因はフィラメントが切れてしまうことですが、このHIDはそれが存在しないわけですから球切れの心配が低く、長寿命なのです、しかもフィラメントを通して明るさを得るのとは違い、バルブの中で直接放電を行っているので、明るさはハロゲン球よりも優れます。しかも出力が少なくて済むといういいことだらけですから、近年、車のヘッドライトをHIDバルブに交換する人が増えています。

 しかし、いいことばかりではありません。そもそも純正のヘッドライトレンズや中のリフレクターは、もともと付いているハロゲン球が前提で設計されていますから、ハロゲン球と違う光の広がり方をするHIDでは想定外の照射の仕方をしてしまいます。それが対向車をまぶしくする原因です(純正でHIDの場合は問題ありません)。その為、本当はカッティングシート等で照射範囲を調整しなければなりませんが、多くの人はそれをやってません。

 対向車で真っ白な光や青白い光でまぶしいと感じたら、かなりの確率でHID装着車と思っていいです。本当にアレはやめてほしいです。前が見えなくなってこちらが事故りそうになります。騒音マフラーやシャコ短車なども迷惑ですが、他車が事故る原因にはなりません。ある意味あのまぶしさは違法改造よりも危険です(厳密には光軸や照射範囲を調整していないHIDも違法ですが)。たぶん気付いていない人が多いんでしょうね。「おお!明るい!遠くまで見えてこれはいいや!」とかいう感じなのでしょう。ハイビームでもないのに遠くが明るいということは対向車は…まぁ、ちゃんと考えれば分かることなんですけどね(笑)。

 爆音マフラーとかと違って、HIDの場合はごく普通の人が相手がまぶしいことに気付かず悪気が無い人もいることでしょう(確信犯の人もいますが)。だから教えてあげればいいんです。でも、一般人が注意するのは難しいでしょう。事件が起きてしまうかもしれません。お巡りさんがそういう車をみかけたら、切符切るとかではなく、少しだけアドバイスをしてあげればいいなじゃないかと思います。悪気が無ければ大抵の人は対処してくれるはずです。

 Ⅰコリント13章に「愛は人のした悪を思わず」という聖書のみことばがありますが、これは悪を見過ごすとか理不尽を耐えろとかいう意味ではありません。「あいつまたやりやがった!これで○○回目だ!」といって、悪の統計を心の中で積み重ねないという意味です。心の中で悪の統計を積み重ねていたところが実は本人は悪気はなく気付いていないだけだったということは以外に多くあることでしょう。それでは、相手を正しく導けないばかりではなく、自分自身も悪の思いで蝕まれかねないのです。言い方やタイミングに配慮は必要ですが、少なくとも心の中で相手の過ちを積み重ねるだけのことは避けるべきではないでしょうか。
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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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