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勝手にクリスチャン像を決めないように

先日の某国の大統領選の予想外の結果に驚き不安を感じるクリスチャンも少なくないことでしょう。さっそくSNSなどでは、そういったクリスチャンの声を目にするようになりました。そんな中には何故、その国の教会はあの人を支持したのかとの声もあります。何故ならばその国の大統領選は教会の支持を得られなければ当選は難しいからです。つまりはクリスチャンたちも、その人を支持した人が多いということです。でも、その結果を受けてその国の教会を批判することは、つまりはクリスチャンであればもう片方の女性候補を支持して当たり前だということですよね。

よく「クリスチャンであればこうあるべき!」という意見に対して反発の声があったりしますよね。私もその反発に異論はありません。でも、今回の結果に対して自分自身が残念がるのは自由ですが、どうして他の国のクリスチャンの政治的立場まで口を出されなければならないのでしょうか。今回の結果に対してその国の教会を批判することは、まさに「クリスチャンならこうあるべき!」ということを他の国のクリスチャンにまで強制しているような行動ではないでしょうか。

個人的にそういう気持ちを持つのは仕方ないかもしれませんが、それを公にしてしまうことは厳に慎むべきではないでしょうか。前にも記しましたが、正しいことなら何を言っても行ってもいいという発想は、他の考えを淘汰する行為となり、やがて行き着く先は戦争です。本当に心配なら、陰ながら祈るところから始めたらどうでしょうか。



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都合の悪いことに目をつぶっていませんか?

昨今、キリスト教界は平和問題についての話題が絶えません。FB等を見ても教会関係者がそのことについて触れない日はないといってもいいでしょう。

一つとても疑問なことがあるのですが、こういった問題を論じる時、日本と関係の深いあの国との関係性を持ち出す牧師やクリスチャンは殆どいません。少なくとも私が見聞きした中では一人もいません。何故ですかね?平和問題を考える時に某国との関係性を抜きにして考えるなんてできないはずたということは私のようなシロウトでもわかるんですが…不思議で不思議でなりません。これは二国の関係のあり方がいいか悪いかということではなく、それが現実だということです。

あくまでも例えばですが、いじめっ子が気に入らない人を誰かに指示して無理やり殴らせたとして(昔はそういうイジメのパターンがよくありました)、その事実を知ったら担任の先生はどうするでしょうか?実際に殴った生徒だけ注意しますか?それとも嫌なことを断れなかった弱さを指摘しますか?もちろんそれらは必要なことではありますが、裏で指示した生徒に何も言わないということはあってはならないのではないでしょうか。

そういうことなんです。細かく調べ上げて訴えかけるような方々が二国の関係性がどのようであるかわからないわけではないでしょう。何かタブー視しているようで異様な感じがします。それともその某国の宣教師と宣教協力をしにくくなるから言わないのでしょうか?それもまたおかしなものです。むしろ平和問題について宣教師たちと議論してみてはいかがでしょうか。それで意見が合わないようであれば宣教協力はもうしないというのはどうでしょうか。

まぁ、半分冗談ですが、訴えかけていくならばそういった覚悟がいるということです。都合の悪いところは目をつぶって話題に触れないようにしましょう…なんて訴えかけを本当に主が喜ばれるのでしょうか。

私がどのような政治的立場であるのかということは申し上げませんが、仮に訴えかけていくような考えに至った場合、上記のような覚悟がなければ訴えかけるようなことはしないでしょう。

武器は必ずしも肉体的に傷つけるものとは限らない

この世界は完全ではありません。人が統治しているからです。もちろんクリスチャンが統治したからといって完全になるはずもありません。それ故、どうしても承服できず訴えかけなければならないようなことも出てきます。そしてそれもまた人の権利であるでしょう。

ただ、正しければ、納得できなければ何でもやっていいというわけではありません。先日も、車道を堂々と大勢でデモ行進しているのをテレビで見かけました。あれってちゃんと警察の許可もらってるんですかね?いや、横を普通に車が避けながら通っていってたから無許可ですよね…というより特定の政治的立場を主張するために車道を占有する許可がおりるとか到底思えません。あんな状態でも、もし車が接触したらドライバー側が悪くなっちゃうわけですからたまったもんではありません。

これだけではなく、世の中の訴えかけには暴言を吐く人々、進入禁止にしても強引に入っていく人々、すでに暗くなっているような時間なのに近隣住民のことを顧みず拡声器で大声で叫ぶ人々、もみ合いになってでも警察のバリケードを力で突破しようとする人々…法律すれすれのものから法に触れているのではないかというものまで様々です。まぁ、法にさえ触れなければ何やってもいいというものでもないでしょう。

ですが、こういった私の考えは「相手が間違ってるんだからどんな手段を使っても止めなければ!」とかいう言葉で片付けられてしまうのでしょう。果たして本当にそうでしょうか?間違っていることは何が何でも正す…この考えの行き着くところこそ戦争なのではないかと私は思います。

テロは相手の命を奪い傷つけるからダメで、マナーに反したデモは命は奪っていないからOKですか?そんなことはありません。たとえ命が奪われなくても、肉体が傷つかなくても、心を傷める人々は大勢います。それとも、その心を傷める人たちは本当のことがわかっていない無知の人々とでもいうのでしょうか?それこそ違うものを排除しようとする争いの根源ではないでしょうか。

私は異を唱えることがダメだと言いたいのではありません。剣をとってはダメだと言いながら違う種類の剣を持ち出すようなマナーに反した訴えかけはすべきではないということが言いたいのです。

主イエスが、当時イスラエルの人々を支配していたローマ帝国に対してどのような態度であったかを考えてみる必要もあるのではないでしょうか。

時に言い方ってだいじですよね

今日、某100円ショップで買い物をしていると初老ぐらいのご婦人が何やら店員ともめておりました。どうやら買った品が思ったより早く使えなくなってしまったことに苦情を言っているようです。そもそも100円ショップで一般的なものと同等の耐久性を求めるのが間違いなのですが、それはその人とお店側のことなのでしばらく放っておきました。

ところがご婦人の方がだんだん粗暴な態度になってきます。大きな声になってきたり暴言を吐き始めたりしたので、私もつい我慢できず「普通に買い物してる人の迷惑になるから他の場所でやってもらえませんか」と言ってしまいました。その後お店の奥の方に行ったようです。

店内の他のお客さんもいる場所で苦情を聞き続ける店員さんもよくありませんが、クレームを言うのに周りの人たちの迷惑も顧みず、乱暴な言葉遣いで言うのでは、たとえ正当な主張であったとしても正当ではなくなってしまいます。言い方というのはとても大切なことです。私も言い過ぎてしまうときがあるので気をつけなければなりません。

最近まで、政府与党に異を唱える若者の集団が活動をしていましたが、以前、その集団に対して、ある牧師が「彼らの言い方には問題がないわけじゃないけど」という前置きをしたうえで、彼らの主張を高く評価していました。私はその話を聞いて大変悲しくなりました。それは彼らを評価したことに対してではありません。言い方というものを棚に上げてしまったことに対してです。

我々キリスト者が世の人々に真理を示していこうとする時「言い方に問題がないわけじゃないけど」という「言い方」の部分こそ大切にすべきことなのではないでしょうか。たとえ伝えたいことがどんなに正しくても、誤りのない真理であったとしても、それを受け入れない人々に向かって「おまえ馬鹿か!」と言い放ったりなんかしたら、相手はたちまち心を閉ざしてしまうことでしょう。

私たちは情熱を持ちつつも誠意をもってかつ丁寧に福音宣教の業に励まなければならないのではないでしょうか。


ちゃんと多角的に検証しましょう

先日、某大手新聞記事で「ハイビーム使用を…横断死亡96%が「下向き」」という記事を見かけました。警察庁も原則ハイビームを重点的に呼びかけていくとのことです。私も原則ハイビームに異論はありません。でも、こういう記事があると警察庁がいう「原則」を勘違いする人がいるのでないでしょうか。

ここでいう原則とは常にではなく「前方の車や対向車がいない時」を指すわけです。そして、横断歩道があるような街中の道路の多くは対向車や前方に車が走っている場合がほとんどです。ですから横断歩道の死亡事故96%がロービームだったというのはいわば当たり前のことです。それをあたかもロービームで走っていたことが事故の原因であるかのような記事の書き方は事故に対して誤った認知を与えてしまいます。この96%の内、対向車も前方に車もいなくてなおかつロービームだった車の割合を示さないと何の意味も持たないデータです。

逆に対向車がいる時にハイビームにすると眩しくて余計に危険が増します。さらには対向車同士のヘッドライトで歩行者が全く見えなくなってしまう蒸発現象が起きてしまいます。おそらくこういった記事に賛同する方々の多くは免許を持っていないか、あるいは普段は殆ど運転をしない方なのではないかと思います。あくまでも推測ですが、この記事を書いた記者も都心に住んでいて普段は車を運転しない人なんじゃないですかね。

ロービームで歩行者の発見が遅れるのは事実です。でも対向車が常にあるような市街地の道路はハイビームで走ることはできません。なのに、街中でもハイビーム推奨を煽るような記事は本当に迷惑です。ではどうすればいいのでしょうか。簡単なことです。歩行者がいるような街中ではスピードを出さなければいいだけの話です。

同じ記事の中には時速80キロで走っている時のハイビームとロービームの障害物に気付いて停止できる距離の比較がされてましたが、制限速度が80キロの道路に横断歩道なんてありませんから意味のわからない実験です。市街地の制限速度はそれなりに低めで設定されていると思いますし、郊外の制限速度が高めの場所は横断歩道がないか、どうしても設置が必要なら信号機があると思います。

一つの原因を示し、あたかもそれが一番の原因のように思わせるような手口には注意が必要です。みことばも、都合のいい一部分だけを抜き出して偏った思想に流れていく傾向がないとも言えませんから気をつけなければなりません。


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☆ヤマちゃん☆

Author:☆ヤマちゃん☆
車・バイク好き牧師

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